本日の授業で無事、今年も一学期が終了である。
終業式まで命からがらやってこられたことに一安心といったところである。
相変わらず授業数が足りない
7月の授業は二学期換算になるわけだが、国語の授業ではほとんど意味が無い。7月に読んだ文章を(しかも一部のクラスだけ)二学期に続きをやる…というやり方は、生徒の読み書きの実態を考えれば、全く意味が無いだろう。
一学期に話題を振っておいて、二学期に回収というタイプの宿題ならば意味もあるのだろうけど、7月中に授業があるクラスと無いクラスがあるともはやお手上げである。
二学期に入っても授業数は片手ぐらいしかないわけで……そんな授業数で何か落ち着いて力をつけるってできるのか…?
教科書の本文くらいの長さの文章であれば2時間もあれば解説が出来るから、それでよいなら別に授業数は要らない。
でも、本当に生徒に知識・技能として必要な能力を身につけさせようと思えば、いくら時間があっても足りない。実際に自分で必要な文脈で言葉を使ってみなければ、国語の力など付かないのだ。
ギリギリというタイミング
授業不足についての愚痴はこのくらいにしておいて、このタイミングで感じていることを端的に述べるのであれば、「なんとかギリギリだった」という感じである。
というのも、やはり肌感覚的にも新型コロナウイルスの感染者数が爆発してきている。
かなり対応に追われてしまっている。
そして、ここに来て「学校に丸投げ」といういつものパターンが増えてきたように思う。「そんなこと学校に任されても…」と思うようなことが増えてきているところに、余裕のなさがなくなっているのを感じる。
学校とは五者どころか、社会が困ったときの最終バックアップみたいな状況だなぁ……。
幸いにして、まだ学校が機能不全になるような状況ではなく、感染状況に収拾がつかなくなるまえに、学校が休みになることにすこし安堵している自分がいる。
どうしても生徒が密集して学校には集まらざるを得ないので、リスクはゼロにはならない。
部活動などで生徒の出入りはそれなりにあるのだが、それでも教室で密集している通常営業よりは生徒のリスクが減るのではないかと思うと、この夏休みのタイミングで第七波をやり過ごしてもらいたいところだ…。
安心と安全が第一
とりあえず、ここで一息である。
状況が少し荒れ始めているからこそ、ここで小休止でも入ってくれることはありがたいものです。