新しい学年が始まって一ヶ月も経つと、だいぶ去年の色が抜けて、今年の色が出てくるような気がする。
教室の雰囲気が見えてくる
新学年が始まってこのくらいの時期まで来ると、それぞれの生徒たちと担任とでクラスの色が出てくるように感じる。
不思議なもので、同じ担任が持つクラスはある程度のブレ幅はあるとしても、生徒の気質が何となくいつも同じような傾向になってくる。
自分の持つクラスはだいたいいつもクールな感じになる。クラスにべったりという色は全然出てこない。クラスにいることは居心地は悪くはないけど、別に他にも居場所があるから好きに出入りする…そんな感じになる。そして、だいたい担任がいようといまいが振る舞い方は変わらない。好き勝手めいめいがやっている…そんな感じである。
面白いもので、クラスづくりが上手い先生はやっぱり生徒が学校やクラスを大切にしたがるし、逆に上手くいっていないところは、そろそろ色々なところで黄色信号が見えるなど…。
大切にしている価値観は伝わる
担任という仕事は損得という観点で言えば、非常にコスパの悪い役割である。手をかけはじめれば際限が無くなるし、自分のクラスだけが上手くいくことには全く価値がない。学年、学校単位でよくならないのなら、それは生徒に本当の意味でよい学校の学びを保障できているとは言えない。
自分のクラスのことは大切にしたいと思うが、自分のクラスだけがよければという気持ちはない。
とはいえ、自分が大切にしていることは、やっぱり他のクラスの人たちよりも大切にして欲しいという気持ちは持ってしまう。
例えば、自分は教室環境は常に綺麗であってほしいと思っている。公共の場であるという意識をきちんと持っていてほしいと思っているからだ。他者のいる世界に自分がいるという認知をしっかりとして欲しいと思っているからだ。
そういう割と個人的なこだわりに対して生徒を付き合わせてしまうことを反面では申し訳なく思うものの、反面ではそうやって教えることもあるだろうという居直り強盗のような気持ちも持っている。
担任の少しのこだわりとワガママに対して、生徒はその意味では寛容だ。
担任が言うなら仕方ないという具合に、自分たちにとって少しの手間であっても、担任が大切にしていることは、最低限、守ろうとしてくれるものである。
そういう小さな承認を得ることができるから、担任という仕事は面白いのかもしれない。
でも、コスパは考えた方が良いですよ(小声)。