ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

解説のポイントとは

授業で解説することは、この数年は相対的に相当少なくなった。学期に数回しか解説の授業はしないで、その分、てびきを読んでそれぞれの生徒に判断して頑張ってもらっている。

それでもたまに解説の授業が必要になることもあるし、対外的にも解説授業をすることが必要になる場合もある。

そんな時に考えていることを少し紹介します。

当然、短いならば短い方が良い

人に話を聞かせることは非常に難しい。話を聞こうというモチベーションがない相手に対して無理やり話を聞かせる形になりやすいのが授業の解説である。全員がモチベーションが低いわけではないが、決して高い意識で聞いているとは限らないのである。

まして、学校いう場所なのでちょっとしたことで「話を聞く」ということへの集中力は途切れる。周りの教室が五月蠅い、天気が悪い、部活動で疲労困憊……授業に集中するための障壁は大きいのである。

そのようなアウェイな環境を踏まえて考えるのであれば、「解説はできるだけ短くする」ということが一番のコツなのである。

高校の教科書にもなると、内容を正確にすべて解説しようとすれば、かなりの時間と説明の分量が必要になる。しかし、そういう「説明しきれない」という現実に対峙するならば、解決策は「正確に伝えるのではなく、正確に理解するための足場を示す」ような解説にしていくのが合理的なのだ。

もし、内容を教えることに重点を置くのだとしても、授業時間をフルに解説するだけが授業ではない。10分で教えたことを10分でまとめさせて10分で相互に検証させるなどの工夫の余地はいくらでもある。

一つに絞る

一つの単元で「あれもこれも」と教えたくなるものである。まともに授業準備をしていれば、いくらでも文章に枝葉を広げて知識を示すことはできる。

ただ、それが必ずしも功を奏するとは限らない。むしろ、脱線していくことで本線が分からなくなるケースの方が多い。

脱線をもコントロールして、まとめて大きなストーリーを描ける力量があれば、それはエンターテインメントとしての授業として非常に魅力的だが、普通の話のスキルなのであれば、脱線を我慢することも必要である。

「あれもこれも」とやりたくなる根本的な原因は「年間の見通し、卒業までの見通し」が立っていないから「いま、ここで教えなければ」という焦りにある。

思い切って「ここでは触れない」という発想をしても大丈夫だと言える、見通しを持てるようになりたいところだ。

シンプルにするのを阻むのは

ただ、やっぱり一言言っておくと……シンプルな授業をしたいのに、それを阻むのが模試の存在である。

差をつけたいのは分かるんだけど、教科書の文章に比べて難しすぎたり、授業数が変わっているのに昔のままのペースで知識問題を出したり…品がないなと思うのである。模試以上に品がないなと思うのが、その模試に振り回されて、思い切って割り切った授業をできない自分である。

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