ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

空間の雰囲気を大切にする

授業が遅々として進まない。

色々と調整しながら進めているので、割とふわっとしたことをしている場合も多い。

協働的に愉快に授業に参加してほしいときには、どうしたって空間の雰囲気は大切だよなぁと思うのである。

身体のあり方を大切にできるか

自分が言うまでもなく、学び方と身体性は色々な本で強調されている。言い古されているといってもいいくらいである。

 

※この本は読みやすい上に内容が濃密でオススメ。

www.s-locarno.com

 

やっぱり、それなりに生徒を上手くまとめられる先生は、生徒の身体のあり方を上手く調整している。机の配置であったり姿勢であったり自分の立ち位置であったり……そういうもので生徒の雰囲気をまとめていっている。

ただ、そういう暗黙知的なことは、本当に教員自身の身体性になっていない場合は、簡単に忘れてしまう。意識して繰り返さないとできないものである。

そして、その意識の差が授業の力量差にもなっているよなぁ……と思うのである。

教室が狭すぎる

経済性、効率性から言えば一クラスに40人を押し込めればいいのだろうけど、教室のサイズに対して人が多すぎるのである。ぎゅうぎゅう詰めにされた教室でできることは、大人しく黙って話を聞くことだけである。

生徒同士が触発されながら学びに向かってほしいと思うときに、教室のごみごみとした手狭さは非常に息苦しい。

動かすことすら重くてしんどい机もいつまで使うのだろう?座っていると腰の痛くなる堅い椅子をいつまで使うのだろう?

机や椅子はそうそう壊れるものではないので、コスパとしては非常にいいのだろう。おそらくこの先も十年単位で同じものを使い続けられる。

でも、学び方を変えようとするときに、生徒が一番長く接している道具を昭和のママでいいのだろうか。

教室を大改装して広くするのは無理だけど、雑然とした感じになるのを整理するための工夫はまだありそうな気がする。

音や目から逃れる場所もあってほしい

最近の生徒の様子を見ていると、わざと教室に死角があってもいいのかもしれない。色々な視線や音から逃れられるような場所があっていい。

教員からすれば、死角なんて生徒が悪さするだけだという警戒感を持つのかもしれないが、ほっと一瞬だけでも息をつけるような場所が教室にあってもいいのかもしれない。トイレや保健室にいかなければ常に誰かの目にさらされ続けるのはちょっと息苦しい気もする。

そうだ、テントでも置こうか。

 

 

このくらい気を抜ける場所があってもいいかもなぁ。1人10分まで。

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