高校三年間は短い。
なかなか中学校までで身につけてきた習慣に劇的な変化を与えられるほどのことを行うことは難しい。
だからといって、授業の意義を軽く考える必要は無いと思うが、何かを教育の力に期待しようとするならば、時間の短さは常に考えておきたいことだ。
すぐには変わらないからこそ
身につけた習慣と自分の本質的なことはなかなか変わらない。
そして、身につけた習慣だからこそ、当人にとっては無色透明で、自分の偏りには気付かないものである。
黙って授業を受けているだけでは分からない。
何かを見える場所に出して、人の出したものと並べて見て、やっとそういうことで分かるのである。
あまり人に何かをさらけだすのは楽しいことではない。
それでも何か知的生産をすることでしか、高校の学びは変化を生み出せないのだろうと思う。
短い時間しかないからこそ、何かをアウトプットして、そこに対して鋭くフィードバックをもらって、色々なことに気付いていくしかないのだろう。
自分の知的生産が何かにつながるという実感のある課題でこそ、やっと授業で自分の成長を少し実感できるような、納得感を持てるようなことができるのだろう。