ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

口ではなく行動で示す

口で言うよりもやってみせるのが一番。

でも、自分の作品を作ってみせることは教員にとっては心理的なハードルが高くてなかなかやらないのです。

探究こそ「やってみせる」

探究学習の指導は、ベネッセの資料集や市販の解説本などで、割と安定的に取り組むことが出来るようになってきている気がする。

 

 

そのため、探究学習の指導としてつい「ノウハウ」を、つまりはやり方を一方的に教えて、それができているかどうかという観点で指導をしがちである。

しかし、本当は探究学習こそ先生方が実際に何かをやってみせるべきなのである。

国語の単元学習であれば「教師見本」を作ってみることで、その単元の勘所を掴んで、実際に授業の時に子どもたちの活動を見取れるようになるものであるけど、探究学習も本当はそういうものではないかと思う。

もちろん、教員であれば、ほぼ大学を卒業しているはずなので、卒業論文も多くの先生方が経験していることになる。だから、探究学習のノウハウ的なことは実際に体験したことがあるし、自分で使いこなせている……はずである。

まあ、「はずだ」を連呼しなければいけないくらいには歯切れは悪くなりますよね、実際の現場は。

恥をかいてこそ

教員も心理的安全に守られて授業をしたい。

その前提は当然、尊重されるべきであるし、あまり授業で失態を重ねることは生徒との関係性を考えても望ましくはない。

しかし、生徒に挑戦することや試行錯誤をすることを求めるのであれば、教員だって失敗しても挑戦する姿を見せるべきである。

もし、生徒にプレゼンテーションに挑戦させようというのであれば、教員だってプレゼンテーションを作ってプレゼンテーションしてみせるべきである。それが上手くなかったとしても、その改善点を虚心坦懐に生徒に尋ねるくらいの度量がおそらく探究学習には大切になるのだ。

だから、思い切り恥をかくことに挑戦した方がいいのだろうと思う。もちろん、それは自分の心理的安全や信頼関係を崩すような無謀なことをする必要は無いが、あえて上手くいかないことをさらけ出してみる……そういうことは必要なのではないだろうか。

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