ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

アクティブ・ラーニングと学力の関係は…?ラーニングピラミッドの信頼度

Pyramids

溝上慎一先生のホームページで面白い論文が紹介されていた。

溝上慎一の教育論

私立学校がアクティブ・ラーニングと学力の定着についての研究を紀要としてまとめて発表してくれていました。

  • 都出恵介「「受験」学力とアクティブ・ラーニングの関係について」(立命館付属校教育研究紀要, 2, 19-26、2017年)
  • 中井咲織・嶋田正和「アクティブラーニングによる学習定着率は本当に高いのか?」(立命館付属校教育研究紀要, 2, 11-17、2017年)

論文の本体はこちらから。

流し読みだけど気になったところを紹介してみよう。

やっぱりラーニングピラミッドは怪しい?

アクティブ・ラーニングと学力の関係を語り、アクティブ・ラーニングを称賛しようとするときに、用いられる「ラーニングピラミッド」。二年前にあすこま先生が指摘していることだけど、どうもラーニングピラミッドは怪しい部分が多い。

askoma.info

中井・嶋田の論文では、このラーニングピラミッドに関して、原型になったと思われる資料の紹介および「誤解」が広まっていた過程などが述べられ、現在ではラーニングピラミッドを撤回する努力をするべきだという意見があるということまで紹介している。

まあ、上のあすこま先生のブログのコメント欄まで読んでいると、同じような話が出てきています。あとレファ協ね。

crd.ndl.go.jp

実際にアクティブ・ラーニングにはどんな効果がある?

さらに同論文ではアクティブ・ラーニングと伝統的な講義型の違いと定着する学力の違いに関する先行研究の紹介と検討も行っている。

それらの研究を俯瞰した結論としては「効果はありそうだ」ということは言えそうだが、授業外での活動など色々な要因が絡むため簡単に「アクティブ・ラーニングが一番良い授業形態だ」なんて言えないということだ。

このあたりの指摘は桐蔭学園の実践を通して学力の定着について溝上先生が論じているときにも繰り返し出てきている話だ。

http://smizok.net/education/subpages/a_kowa.htmlでも「掲載予定」になっているので今後に注目したいところです。

中井・嶋田の論文でも

アクティブラーニングはすべてを解決する「夢の万能授業法」ではなく、授業法の選択肢の1つととらえるべきだ。

とかなり慎ましい言い方になっている。

結論として

指導者は十分に理解したうえで、児童・生徒の授業中の様子をリアルタイムに見ながら、適切な授業法を選択していく、きめ細かな配慮が求められるだろう。

と、こちらもきわめて常識的な範囲の結論となっています。

まあ、アクティブラーニングでなんでも解決しようとするのも愚かだし、座学で教え込みでなんでもできると思っているのも滑稽なわけです。

そういう論争をあえて引き起こして、自分にポジションを高めようとする言説は多いのですが…。

「受験」とアクティブ・ラーニング

都出の論文は現場にとってはもう少しシビアで関心の高い話かもしれない。

だからこそ、研究の対象として「予備校の授業」をアクティブラーニングという切り口から論じようとしたことは面白いし、現場としては関心を集めることかもしれない。

溝上先生の論文などを引きながらアクティブラーニングとは何かを定義し、その上で予備校の授業の要点をアクティブラーニングの観点から分析しようとしているのが面白いところ。

ただ、個人的には一歩間違えれば、座学中心の授業をアクティブラーニングと呼ぶ口実を与えるような書き方になっているようにも感じる。前半のアクティブラーニングの議論をきちんと理解しないで予備校の授業分析だけ都合よく読めば、これまでの授業にちょっと演習させればよいくらいの理解のされ方されるだろう。

根本的に自分がひっかかるのは「認知プロセスの外化」を「問題演習」くらいのことをに当てはめてよいのかということだ。

smizok.net

上の内容での「外化」についての説明を見てもらえれば分かるけど、個人の頭の中が単純に問題を解いて正解・不正解を繰り返すこと以上に、他者との協働を通して意味を構築していくという構成主義的な観点が含まれるから、単に要素主義的な知識観の予備校の授業をアクティブラーニングと呼びにくいし、問題演習をアクティブラーニングと読んではいけないだろうなぁという気はする。

他にも「見通し」と「振り返り」という言葉も多義的で難しいよなぁ…と思う。

入試の学力と構成主義的な学力の差異が大きい以上、やっぱりこのテーマは難しいなぁとは思う。結局、学びのあり方や持っている知識を多面的に試すということは、公平性からは遠くなってしまう。

公平性を保とうとして結局、試験が骨抜きになりつつあるセンター後継テストを見ればそのあたりは分かってもらえると思う。

何にしてもよい学びを提供したい

自分としてはアクティブラーニングだろうとなかろうと別に大して呼び名に興味はない。時流に乗っていたほうが働きやすいよねという程度だ。

でも、生徒の反応だけは毎日見て過ごすだけに、誠実に向き合わなければいけないだろうなと思う。

生徒の反応を見たときに、生徒が勉強しないを生徒のせいにするのも怠慢であるし、生徒が勉強しないのを見過ごすのも怠慢だと思っていくしかない。

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