ようやく情報解禁になったので、ここまで出揃った情報を踏まえて自分の意見を述べておこうと思います。勤務校の生徒の受験しているので生徒の感想なども少し振り返っておこうかと思います。
【追記】2018年度のプレテストは以下のリンクから。
関連リンク
そのうちリンク切れになる気はしますが、一応、リンクを貼っておきます。問題や正解例、そして世論の様子を知るのに参考にしてみてください。
大学入試センター
平成29年度試行調査 問題、正解表、解答用紙等|大学入試センター
新聞・報道など
低い正答率 試行調査の問題公表(毎日新聞)
新テストに戸惑い 生徒「全く違う対策必要」(毎日新聞)
大学新テスト試行、問題2割増 素早くこなす力必要に(日本経済新聞)
分析 プレテスト 問題の構成とねらい (教育新聞 電子版)
「課題が続々 大学入学共通テストは大丈夫か」(時論公論) | 時論公論 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス
予備校などの反応
「大学入学共通テスト」試行調査(プレテスト)を分析しました。(代々木ゼミナール)
2020年大学入学共通テスト(東研)
大学入学共通テスト試行調査 大手予備校が分析(産経新聞)
ちなみに、ベネッセの学校教員向けサイトである「ハイスクールオンライン」に、ベネッセの解説が出ています。
※渡辺久暢先生もブログに解説を書かれています。
hisanobuwatanabe.cocolog-nifty.com
プレテストのねらいなどについて簡単な解説
このプレテストがどのような性質のものなのかということについては、高大接続改革システム会議「最終報告書」を参照するのが良い。
よく新試験導入の批判に「センター試験はよい試験だから変なことをする必要はない」ということを簡単にいう人がいますが、この報告書を読むとセンター試験の強みと弱みがきちんと述べられています。
現行の大学入試センター試験については、例えば以下のようなことが指摘されている。
(P.52 下線強調は引用者)
- 知識の習得状況の評価に優れていることに加えて、マークシート式でありながらも、与えられた問題を分析的に思考・判断する能力の評価に優れている。
- 複数の情報を統合し構造化して新しい考えをまとめる思考・判断の能力や、その過程や結果を表現する能力の評価については更なる改革が求められる。
- なお、多肢選択式中心のため、文章を書くこと、図を描くことなどを解答に含む問題は出題しにくく、また、選択肢の内容を参考として解答するなどのケースもある。
自分も現行のセンター試験についてはかなりの良問だと思っている。よく詰め込みだとかテクニックで解けてしまうだとか批判はされるものの、例えば国語の設問を見ると文章全体を把握させるような設問や全体の趣旨を理解しないと勘違いしうる読みが誤答選択肢にあるなど、生徒の実態をよく理解したうえでかなり工夫した試験になっている。
それだけに自分も無理してまで変える必要があるのだろうかという思いはあるのだけど、「複数の情報を統合し構造化して新しい考えをまとめる思考・判断の能力」や「過程や結果を表現する能力」についてはセンター試験は測れない。そしてそのことが、高校の授業でそのような力を伸ばすことを後回しに繋がっているのだとしたら、入試を変えることで「圧力」を掛けるということにも意味があるようにも思う。
実際に、今回のプレテストを評して「社会とのかかわり」が重視されているという言葉はかなり目にするが、本来、そのような「社会とのかかわり」ということが出題されたからといって大山鳴動するのはおかしな話なのだと思う。何のための学校かという話である。学校の授業が普段から「社会とのかかわり」という中で授業をしているのであれば、これはほど大さわぎにはならないことである。入試が変わるからあわてて「社会とのかかわり」を授業で考えるって……なかなか滑稽である。
もちろん、この問題は本当に「社会とのかかわり」を試せているかはよく分からないし、怪しいと個人的に思っている部分もある。しかし、だからといって、「なんだ、テクニックで解けるから従来型で問題ない」というのは怪しい。能力はそう簡単に他の文脈に転移しない。だからこそ、色々な文脈が授業の中で保障されていることが必要であるし、そういう経験がないとおそらく解くことが難しい試験であるのだろうけど……そうなると繰り返しになるけど、なんでそもそも今、授業でそれをやっていないのだ!
あと、何だかやたらと「これまでと変わらない!見た目が変わっただけ!基礎学力を徹底すれば大丈夫!」なんて言いたがる人が多いのだけど、知識問題が出題されるのは改革に関わる答申で「基礎・基本は減らさない」といっているんだから当たり前である。
まさに、都合のよいことしか見たくないのが現場なんだな…と少し食傷気味である。
国語の問題について
専門である国語について簡単な感想を述べておくと
大問1
話題の記述問題。複数の資料を読んだり話し合いの文脈を汲み取って答えたりということは出題として工夫されているなという印象である。授業の中で「資料を組み合わせて理解する」ということや「妥当な考えを創りだす」ということに取り組む必要があるのだというメッセージ性がとてもあると思います。
ただ、自分の周囲半径二メートルが問題を解かないで好き勝手言うことには「こんなの子どもっぽ過ぎて高校生にふさわしくない」だとか「国語を舐めている」だとかやたらと国語を高尚なものだといいたがる人が多く、実際に生徒が話し合いなどに取り組み、妥当な納得解を出すことの難しさにリアリティを持てていない人が多いのが残念なところだ。あの問題は子供だましに見えるかもしれない。でも、全く慣れてない人間同士の対話は、あれくらい簡単なところから地道に進んでいき、やっと達成できることなんだよと思う。
大問2・3
問題文が短くなった分だけ写真や表などが問題文に含まれるようになり、また、回答についても全体を色々と読み直して、全体像をつかんでいく必要が出てきた問題である。
見た目は従来型と変わらないとしても、資料を整理したり読みながら考えたりということになれていないと難しいだろうなと思う。授業の中で精読だけでなく、色々な読み方がされることが期待されるような問題だと思う。
大問4・5
前提として、この時期の高校2年生にはやや知識問題が苦しい。だから、正答率自体も生徒の習熟がもう少し進んだ時期になれば変わるかもしれない。
面白いのは「源氏物語」のような超有名な素材であっても、まだまだ国語科が扱ってきた方法が全然少ないのだということが分かるような提案になっていたこと。出題されていた部分が比較的、難しい解釈が必要ないようなところであり、教科書レベルの知識があればすんなりと読めることからも、正確な口語訳というよりも色々と読み比べてみて考えさせたいという方向性が見える。個人的にはいっその事、訳しにくいような文の脇に口語訳をつけておいて、もっと言うならそもそも口語訳した古典で出題してもいいと思うんだけどなあ…。
太公望が出題されたのは、来年一月から封神演義が再アニメ化されるからですね、わかります。きっと、作問者はアラサー(大嘘)。
アニメ化の話は冗談ですが、こうやって現代でも古典のちょっとした要素にワクワクできる子どもが多いことを掘り下げてみたいなあとは思うのです。
個別の記事へのコメント
個別の記事のうち、気になったものにコメントしておきます。
桜修館中等教育学校の木村教諭は「国語の授業でも生徒同士にディスカッションさせる工夫が必要」と話す。(新テストに戸惑い 生徒「全く違う対策必要」(毎日新聞))
このコメントはどうかと思う*1。あの問題への対策として「ディスカッション」ってのはかなり筋が悪い。もちろん、授業改善が必要だという趣旨は理解できるし、授業改革を加速させたいという狙いがプレテストを通じて全国の現場に降りていくことには意味はあるだろう。
ただ、この問題が「主体的・対話的で深い学び」のイメージとしてよいものなのかということについては疑問がある。
中教審委員も務める国文学者のロバート・キャンベルさんは、「受験生が主体的に何を学び、考えたかを試すことができる」と一定の評価をしています。
一方、大学入試改革に詳しい東京大学教授の南風原朝和さんは、「問われている内容への答えとなる語句を資料の中から読み取り、それを書き写すことを求める読解力のテストで、文章を論理的に組み立てるという意味での記述力、表現力をテストする問題ではない」と否定的な意見です。(「課題が続々 大学入学共通テストは大丈夫か」(時論公論) | 時論公論 | NHK 解説委員室 | 解説アーカイブス)
個人的には南風原先生の意見に近い。この問題で「主体的」と言われてしまうのはかなり違和感がある。結局、代ゼミの解説を見れば分かるように、従来型の「抜き出しや書き写し」のテクニックを駆使すれば、それなりの点数になるような問題である。
勤務校の生徒の感想にも「あの問題は自分の頭なんて使って解いちゃいけなかった。問題作った人が期待する答えを推理したほうが速い」なんてことを言っていたのは、その通りだと思う。
だからこそ、この問題が「探究型」と呼ばれるのは違和感が強い。
試行調査の問題作成責任者を務めた大学入試センターの大杉住子審議役は「新学習指導要領を意識し、粘り強く考えて解く『探究型』の問題を重視した」と説明する。(新テストに戸惑い 生徒「全く違う対策必要」(毎日新聞))
「探究型」の学力が評価できるかについては疑問である。せいぜい、「活用Ⅰ」程度の話である。
あまりこのプレテストを「探究型」といってしまうのは、学校を社会に開いていき、子どもに学びを委ねていく「探究型」の学びを目指すためには却って足かせになるんじゃないかと。「探究」をテクニックでどうにかできる範囲のことに押し込めてしまうのは、かなりマズイのではないかと思う。
物量こそ違うものの、このような複数の資料を読んで自分の考えを書くというようなテストは、県立高校入試の問題に出題されている。
2016年度 千葉県公立高校入試(国語 前期・問題)12/12
単純な比較はできないけど、プレテストよりもよほど自由度が高いし生徒自身に考えさせて記述させられる。
もちろん、これは県立高校入試が各学校ごとの採点であり、受験者の数もセンター試験に比べればまだマシな規模であるからこそできることだとは思うけどね。でも、この手の問題も塾産業でテクニック化されているので……まあ、新テストも陳腐なテクニック化されるのだろうな……。
まとめ
個人的にはこのテストについては「批判のための批判」……つまりは、結局、今やっていることを見直そうとしないで、「このテストをやめさせたい」というつもりで批判するならまり生産性はないだろうなと思います。
問題の出来というか構成のバランスという意味でいえば、センター試験の方がやはり出来は良いと感じますし、そもそも複数の資料を読んで答えるというような問題であれば、国公立の総合問題や慶応の小論文などで、すでに入試問題として出題されています。国語の記述問題について言えば、よほどそちらの問題の方が出来は良い。
ただ、実際の学校という文脈を取り上げていることや、国立や慶応などのように本当に上位の生徒にしか関係ないような入試ではなく、多くの高校生が関わるテストで、こういうことをしなければいけないと、一つはっきりと表明したことの意味は大きいかなあと思います。
ですから、批判もいいんですが、そもそも「自分の授業はちゃんと生徒が生きていくために役に立っているか?」と自分自身を問い直さなければいけない部分はあるんじゃないかなと思う。
その意味だと、自分の教え子たちは、一年半を積み重ねてきた甲斐もあって、問題を終わった時に「なかなか面白い問題だったね」といえる生徒が多かったのは、よいことだったかなと思う。逆に「これじゃあ、全然、思考力なんて試されてない!もっと自由にやらせろ」といっている生徒がいたのも面白いところ。
慣れればできるさ。でも、その慣れさせるってなんのため?いつやるのでしょう?
*1:新聞の記事なので教員が発言した意図通りのことだとは思わないので、こういう編集をして表現した新聞社の無理解への批判としてほしい。