腰が痛いものの仕事は減らないので本日も出勤である。大学入試のピークもだいたい過ぎて、あと一週間でほとんどが終了する。
国公立の記述添削もいよいよピークで、そろそろ手が震えて来たよ(疲労)。
休めるかと思ったけど、腰を痛めて休んだ以外は意外と休めずに過ごしてきた今月も後半分である。三月が来たら卒業式である。
授業がないのにそろそろ…
添削を朝から晩までやっているので暇はないのだが、授業がないので精神的に間延びしていると言える。授業がないのにそろそろ耐えられなくなってきた。
色々と授業を見たり話を聞いたりはしているので、どこかで授業をやりたい気分ではあるのだけど、授業するクラスがない。困ったものだ。
教職大学院の方々の中に紛れていた1日ですが、院生の頃から授業を見て歩くのは贅沢だなと思いました。羨ましい。でも、明日、すぐに学んだことを還元できる現場があるのは、現場の教員の特権である。どうだ、羨ましいだろ!
— ロカルノ (@s_locarno) 2019年2月15日
現場がないのは俺である。
しばらく授業していないので四月から授業しろと言われたら出来ない気がしてきたので不安である。
丁寧な芯のある授業を目の当たりにして、自分が四月からああいうレベルで一からやるのは、なかなかしんどいな……なんて弱気にもなる。今教えている三年生ならもう少し気楽に色々やれるのだが…………甘えである。
授業を新しく始めるのは本当に気が重い。自分がそれほど授業が得意ではないのだとつくづく思う。さて、四月からどうやれるものか…。
泣いても笑ってもあと一週間
まあ、愚痴っぽくなっても今の生徒への指導もあと一週間が山場である。細かく言えば、三月入試もあるのだけど、ほとんど二月で終わりである。
こうした記述の指導も終わりで、本当にもう生徒にしてやれることがなくなってしまう。
あとは生徒たちはそれぞれの場所で勝手にやってもらうしかない。
どれだけの物が残せたのか、どれだけの意味があったか、それはこの後、生徒のそれぞれの場所で本当に試されてくるのだろう。意味のあった三年間だったのだろうか。
入試の結果は偏差値から予想できる。でも、何を授業で残せたかなんて予想のしようがない。本当に、ここから先にどうなっていくのか……心配でもあり楽しみでもあり。
まあ…その前にきちんとこの入試が終わってくれないことには。やはり私学定員厳格化の影響は厳しい。安易に諦めてもいいことはない、最後まで粘れってくれ。