ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

いよいよ定番教材へ…

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逃げ回ってきたけど、逃げ切れないのでいよいよ定番教材を次の単元で……。

定番教材について

毎回、苦しむのが定番教材である。

定番教材、定番教材といっても、実際のところ、絶対に国語科でやらなければいけないというほど強固な縛りがある訳ではない。歴史的に見ても長いものでもせいぜい戦後に採録されて成立してきたものが多い。

この辺りの事情は

国語科教育学研究の成果と展望

国語科教育学研究の成果と展望

 

の「教科書教材史研究の成果と展望」(PP.253-259)*1に詳しく、読めるのであれば、

国語科教育学研究の成果と展望 2

国語科教育学研究の成果と展望 2

 

の「教科書教材史研究」(PP.177-184)に一層詳しく、特にP.180に定番教材の成立やその批判についてまとめれている。そこでも紹介されているように

「ごんぎつね」をめぐる謎―子ども・文学・教科書

「ごんぎつね」をめぐる謎―子ども・文学・教科書

 

が定番教材の成立の様相を述べている一冊として重要である。

まあ、詳しく踏み込んでも授業づくりには直截的にはつながらないので、ブログに書くのはこのくらいにしておこう。メモとして後から気づくように。

話は脇に逸れますが、『国語科教育学研究の成果と展望』は1はともかく2は相当入手困難です。

実際問題として、個人的な意見ですが『国語科教育学研究の成果と展望』は院生はそこそこ使うでしょうけど、現場にいると「物好き」でないとあまり使いません。便利だけど。現実問題として、授業づくりならば

国語教育総合事典

国語教育総合事典

 

を職員室に買ってもらえば、十分なような気がします。

この辞典も十分に参考文献ついているので、そこから掘っていけますし、そもそも実践例も相当数掲載されているので使い勝手が違う。

また、個人持ちするならば値段的には

国語教育指導用語辞典

国語教育指導用語辞典

 

を持っていれば十分な気もする。もちろん、網羅性や情報量は比べられないのだけど、一つ一つの項目は好論が多い。今回のテーマであれば、PP.302-303の松崎正治先生の「教材論」などはコンパクトな上に教材の成立の話やカノンの問題、新しいメディアの話まで射程にいれた論ですからとても勉強になります。

自分は国語科教育で院生をやっていたので(とはいえ、院生時代は国語科教育はほとんど全く全然やらないで日本語学やっていたけど……)、この手の事典などは集めて持っていますが……実際にはなくてよいかなぁ。必要があれば借りにいけば普通の生活には問題ない。

実際に、研究をしようとなれば大学にいくことになるでしょうから、そのときにこの手の本が研究室や図書館にないという可能性はあまり高くないでしょうし……。

まあ、電子化してくれれば一番いいのですけどね!割安で使い勝手も向上!

定番教材をどうするか…

こんな回りくどい話から始めているのは、自分がどうしたものかと逡巡しているからである。毎回、毎回、定番教材がやってくると憂鬱になるのである。とても扱いが難しい。

高校だと小中ほどに定番教材が多くある訳ではないが、例えば「羅生門」「山月記」「こころ」「舞姫」あたりは定番教材として名高い。

「山月記」はなぜ国民教材となったのか

「山月記」はなぜ国民教材となったのか

 

こんな本もありますし……。

世代を問わず、「羅生門」や「山月記」や「こころ」の話ができることって……凄いことですよね。まあ…イデオロギーの話やカノンの問題は立ち入らないでおきます。自分には手に余る。

ただ、定番だからといってやりやすい訳ではない。実際問題、年々、生徒の実態に対して定番教材の語彙や設定などの乖離が激しくなってしまい、「何を書いているわからない」という一撃で生徒の関心が離れていく場合の方が多い。自分などからすれば「山月記」の名調子や名台詞はやはり高校の時にやったとはっきりと覚えていますし、「こころ」の精緻な設定を読み解いていくことが楽しかったのも高校だと覚えている。

でも、それが誰にでも普遍的に感じられるものではないのですよね。生徒との乖離が激しくなっているので、扱うことすら難しい感じがしてくるのである。

実際、「舞姫」を扱わない学校が増えているという話も、何となく聞いたことがある。

扱うにしても、生徒に「豊太郎はクズ」くらいの印象しか残らない扱い方をするのも何だか違うな…と思うのである。

自分としては…

そんなぐるぐると持て余している定番教材であるが、自分としては今のところ思っている結論はある。

第一には、色々な世代が読み継いできている(ように感じられる)ものを、自分の独断や好みや迷いで止めるのは、精神的な抵抗感があるので、やらざる得ないだろうと思っている。実は国語科のみならず、他教科のほかの先生からも「定番教材」をやることを期待されているような感じはある。共通文法として機能している。生活の中で、色々な場面で、文学が立ち上がってくるというか、よほどしっかりと文学が人生に根付いている様子であるように思うからこそ、ちゃんと丁寧に扱い、同じようにどこかで子どもたちの口から文学が生活に出てくる瞬間があることを期待したくなってしまうのである。

第二には、「定番教材」だからこそ、先行研究が多くある。教材を開発することも必要なのだが、それは生半可なことではできないと思っている。大村はまの実践などを見るととてもとても自分ができない気がしてしまうし、そこまで言わなくても、ゼロから単元を作り、素材を見つけて学習材へと作り変え、その都度、きちんと評価し、つくり直し、質を高めていく……なんてことを毎度やっていたら確実に過労死する。

「定番教材」だからこそ、叩かれて高められてきた先行実践が多くある。評論だとほとんどない(「であることとすること」くらい?「水の東西」や「手の変幻」は随筆?)ので、文学の「定番教材」の威力はバカにはできないよなぁと思うのである。

逆に言うと、毎年、現代の作家の新しい文章から入試問題作っている人がいるのは恐ろしいことですよ……。ゼロから問題にして、なおかつ解くことでその素材が活かされるような問題を作る……問題を解くための問題の入試問題もあるけど……のは、次の定番教材の発掘に似たような作業であり、恐ろしいなと思ったりもする。御三家の中学入試の小説などはとてもじゃないけど自分には作れないし、うっかりすると解けないよ!

第三に、一つ前のことともかかわるが、なんやかんやいっても「定番教材」となった素材は、生徒に高校生として身につけてほしい読み方や持ってほしい気付きを教えるのにいろいろと便利なのだろうなと、教材分析していると毎回思うのである。というか、そういう実践も多くあるから自分でゼロからやらなくてもいいし…。

まあ、そんなこんなと色々とあって、自分は定番教材を安易にやらなくていいとは言いにくいのである。

やはり「先行研究が厚い」ということが自分には重い事実である。生徒に合わないならやらなくていいと安易にいえるものではない。

そんなわけで……一切授業の話が出て来ないように、なにも自分のなかで進捗がないで追い詰められてきたという話でした。

*1:余談ですが、『国語科教育学研究の成果と展望』は復刊投票で復刊しています。欲しい方はこの機会にぜひ。国語科教育学研究の成果と展望:全国大学国語教育学会 編 - 明治図書オンライン

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