ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

授業の中で発表は?

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生徒にこの一年の授業のふり返りをしてもらっている。データはネット経由で提出という形で。本当は時間をとって授業内でやりたかったのだが仕方ない。

その生徒の感想に「授業で話し合いできたのは良かったが、話し合ったことをクラスに発表する時間がなかった」という意見が多く出た。

自分なりに思うところもあるので少し書いてみよう。

まずは言い訳から……

まず大きな言い訳をしておくと、「週2単位で授業が潰れまくっているのに発表の時間はとれねぇよ!!」である。まあ……ちゃんと何をやるべきかを精選すれば発表までできるとは思うけど。

実際問題として、コロナの影響もあって年間の授業時間数は標準時間数にかなり足りていないところがある。

そのギリギリの中で生徒のモチベーションや学校行事に気を配りながら、授業の計画を立てるのは無理でした。自分のマネジメント能力がもう少し上がってくればよくなるのかもしれないが……やはり発表までの時間を取るのは結構厳しい。

一クラスが30人くらいいるとするとグループの数は7~8くらいになる。それぞれの班に3分くらいで発表してもらっても20分以上かかるのである。体感的には1分くらいで話してと生徒に指示しても、班の切り替わりやフィードバックをしていると3分くらいはかかる。

物理的に「クラス全員への発表」というのは時間的なコストが大きいのである。

最大の言い訳は「時間がない」ということである。もちろん…時間を言い訳にしてやらなくていいとはならないので、言い訳なんだけどね…。

意図的に発表させていない

ただ、「時間がない」という言い訳とは別に、意図的に「全体に発表する」ということを今年度は重視しなかった。

「発表する」ということは、生徒に対してはかなり大きな負荷をかける学習活動である。割と気軽に授業の中で「じゃあ、話し合ったことを発表してね」と言いがちなのであるが、どのような形で発表するのかということを教えないで発表させると、あまり望ましくない形での発表になる。例えば、クラスへの発表なのにそっぽを向いて原稿ばかり読んでいたり、早口でとてもじゃないけど相手に聞き取れない声で話したりヘラヘラと照れ隠ししたり……。まあ、当たり前である。自分だって研修で「はい、発表してください」と言われたらそうなる。

問題なのは、そのような状態に陥ると言うことが分かっているのに、不用心に発表させ、なおかつフィードバックもしないでそのような発表でよいのだというメッセージを暗に送ってしまうことである。

「発表」という活動は経験の積み重ねが影響を与える。それだけに、締まりのない発表を「国語の授業」で不用意にやらせてはいけないと思うのである。

しかし、本気でちゃんと発表をさせようと思うと、上述の通り、かなり準備が必要だし、生徒の心理的な負担も大きくなってくる。

高校1年生に対して、今後の高校での学習を見通して、経験させておきたいことはいくらでもあって、授業数は全然足りない。したがって、色々な条件を考えると、「発表」については、今年度は触れなくても良いというのが自分の判断になるのである。

「話すこと」ということが自明で簡単なことではないのだ。

 

 

まずは、「きく」ということから今年は始めているが、やはりこれもかなり苦労した。もちろん…「きく」とは「話すこと」とセットなので、「何をきくか」ということも問題であったと思っているが…。

さらに、「きく」の次には「対話」なのだろうという思いもある。ちゃんと「相手」と向き合うということを扱わないと厳しい。グループで話し合うときの姿勢や使う言葉遣いなどを少しずつフィードバックしていきながら身体性として身につけてもらう。「対話」の前に、対話になるように十分に自分の意見が持てるように準備をする。

なかなか「発表」まではたどり着かない。

次年度は発表にたどり着くかな

今年度が「きく」と「相手と対話する」ということに重点を置いて、活動を考えてきたので、グループを超えての発表はあまり行わなかった。

そもそも、同じ文章を読み、同じような課題に取り組んでいる状態では、グループごとに発表してもらっても、刺激的な違いはなかなか生まれないだろう。シンプルにあまり意味がないと言ってもいい。

自分の授業の設計が意見や考え方の多様性を……とは考えていないのである。

生徒に学び方や方法や難易度や達成したいレベルは選択肢として委ねるが、「いまここでやるべきこと」「身につけておいてほしいこと」はきっちりとコントロールしているつもりである。

それは学習指導要領をきちんと押さえるということであるし、三年間の成長のバランスを見通して、生徒の成長を保証するということでもあると思っている。

 

 

自分で「これをやる」と決めるということを大切にしたいのである。

さて、今年度は「発表」までたどり着かなかったが、次年度は「発表」にいかねばとも思っている。というのも、総合学習などでどんどん生徒が舞台に立つ場面が増えるからである。

学校での学び全体を見ても、このタイミングで「発表」について国語の授業できちんと考えることをしておく必要があるだろうと思っている。逆に言えば、本番があると分かっているのに、国語が「発表」を考えることを授業でやらなければ、それは学ぶ機会としては非効率になるのではないかと思う。

色々な発表をメタ的に考えるところから始められたらいいかな?

三年前はスピーチの研究から始め、ポスターを作ったり最終的には発表をさせたりしたわけであるが……さて、そこをバージョンアップしなければ。

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