やっと職場もオンライン化。Classiは本日も繋がらず。
Classiにさすがに愛想を尽かして自力で今あるサービスを使ってどうにか生徒と接続しようという機運が出来たことだけはよかったとしておこうか。
道具は覚えなきゃ使えない
新しい道具が欲しいと思う気持ちが強いから、急速なICT化に対しても文句が出ながらも前進して入っているフシがある。なぜ、学校にClassiが根強いのかと入ったら、先生方が本気でICTを求めていないし、Benesseにおんぶにだっこになっていれば、向こうの方から色々な提案や真似しやすいパッケージを持ってきてくれるからというのは大きい。
しかし、本気で必要になったときに、使い物にならないということが露呈すれば、さすがの学校だって、愛想は尽かして他の道具が欲しくなるのである。
そうして都合のよい道具を見つけると、それが得意な人に色々と教えてと来るのであるが……いつまで経っても文句ばかりで使わない人は使わないのである。
「あなたは得意かもしれないけど、自分は使えないからやらない」と平然と言える人は少なからずいるのである。これは企業だと許されるの?
まあ、ともかくそんな感じの例は色々な場所で聞くだろう。
でも、そもそも新しい道具とは自分で覚えて使おうとしなければ、いつまで経っても使えるようにはならないものである。失敗してもある意味でICTはリカバリーもラクなのだから、使いながら覚えていけば良いだけの話に過ぎない。
それを仕事なのに拒絶するのに、生徒に学べというのか……。
得意だから出来るでしょの誤解
多くの勘違いというか、失礼だと思うのが「あなたは得意だから出来る」という物言いだ。それはあまりにその人が勉強していることを軽く扱っている。
そして、それを臆面もなく言えてしまうことは失礼なのである。
「得意だから出来る」のではなく、「時間をかけてそのことに試行錯誤したから人よりも出来ることがある」に過ぎない。何も時間やお金を投資しないで出来るようになるほど甘いものではないのである。
もちろん、ある分野に対して興味があるから時間を割くだけの力があるとも言えるだが、それでも、すぐに出来るようになることなんてそんなに多くはない。どこかで知識や技術を得るための時間を投資しているのに違いがないのである。
そういうことに発想が及ばないで「自分は苦手だから出来ない」というのは、単に学ぶことの放棄であるし、相手が努力していることを軽く扱いすぎなのである。
生徒が自分の教える教科が苦手だと言うときにどんな態度で接するつもりなのだろう?「苦手だからやらなくていいよ」というのは生徒の学ぶ権利を侵しているし、「苦手だけど文句言わないでやれよ」というのは、自分はやらないくせに、どの口がいうのか?である。
はじめから得意な人なんていないんだよ、そういう当たり前のことに敬意をもっていないで、学ぶとはどういうことかを教えられるのだろうか?