あぁ…休みが失われていく。本当はあと一週間くらいの休みが欲しい。でも、明日で休みは終了です……この後、年末まで健康にいられるか不安です。
休みがもう無くなっているので、山のような積ん読をなんとか切り崩そうとしています。
読むべきものを読む
有限の時間の中で、大量にあふれる情報を処理するためには、「読むべきものを読み」「読むべきではないものは読まない」という判断をするしかない。
以前にもこんな記事を書いている。
自分が一年間に何冊本を読むのかは正確には記録していないから分からない。でも、Amazonの注文履歴を見ると200冊程度は毎年注文しているので、借りてくるものや雑誌を含めれば300冊以上は手に取っているのだと思う。(問題集や過去問は除く)
当然ながら、まっとうに読めば、新書や文庫は2時間くらい、単行本は3時間くらい、研究所は1週間くらい……という相場観があるけど、実際はそこまで精読では読まない。おそらく、精読して読む本は全体の3割もないくらいだとは思う。
この夏休みの期間にやっている読書は、精読というよりも「処理」に近い。仕入れた本を選別していき、普段、授業をしながら読んでいくべき本はどれなのかということを選んで仕込んでいるというイメージである。
読書については平日の方が苦しいのは間違いなのだけど、自分の場合、授業や業務に活かそうとした場合、実際に目の前の子どもがいたりプロジェクトが動いていたりしないと煮詰まらないタイプなのである。だから、「あ、これはきっとこの時期に使いそうかな」という本を選別して、ストックしておくという作業をしているのである。
今すぐに読まなくてもいいけど、内容の枠組みは誰かに「こんな本だったっけ?」くらいは言えるようにしておこうという基準である。例えば、
この前に書評を書いた
については、たった96ページしかないので、内容の確認は20分くらいでやっている。その後、このタイミングだから本腰入れて読むかーというノリで、1時間くらいツイートしながら内容を確認という読み方をしている。96ページで1時間くらいなので、普通の書籍なら2時間くらいだ。
今日も読んでいたのが
こちらだが、こちらは400ページくらいだが、内容の確認は1時間かからないで終わらせている。ただ、内容的には非常に充実しており、これまでの石井先生の文献とつながりが強いから理解するには時間がかかりそうだなぁと再読を考えているし、書評も書けないなと保留している状態である。
また、この本は読んでいると他の本も気になるタイプの本であり、それらの本も本棚から出して読み直しているという状況。例えば、
石井先生のこの辺りの本は気になるし、他にも
この辺りの目標の議論は参照が必要だなと気づいて、本棚から探してきている。
きっとこの後二学期に使えるなぁなどと思って、再読しやすい棚にまとめて整理している。
いたる所に積んでおく……
これだけ本があると、基本的には棚からあふれて文字通り積んである状態であるのだが、積み方にも一応のルールがある。
自分が普段、自宅で過ごしている場所はパソコンの前かリビングのハンモックである。ベッドにもいることがあるけど、ベッドにはKindleで充分である。
Voyageがもう販売されていないので今あるのが手放せない……。
自分のいる場所が決まっているので、自分が普段いる場所には、できるだけ手に取りやすい形で積ん読を積んであるのである。何か別の作業をしながら、何となく本をとる…ということが出来るようにしておくのである。
本当は優先度を決めて読むべきなのだろうけど、迷っているとやる気がなくなる位には本が積んであるので、もう手に届いた本を消化する習慣にしていないと駄目なのである。今は休みなので気力も余裕があるのでいいのだが、体力も気力も使っている平日に本が取れるかは意志の力には頼れない。機械的にやらねばならないのである。
まあ、このぞんざいな整理の仕方のせいで、本がどこにしまってあるのかがよく分からなくなることも多々あるのだが……同じ本を数冊買い直すところまでが様式美。
場所を変える・本を変える
集中力というリソースは有限である。同じ姿勢、同じ場所で過ごしているとだんだんと集中力が切れてくる。徐々に本から目を離すまでの時間が短くなってくるものである。だから、それなりの冊数を処理しようとするのであれば、もう場所を変えることで気分を変えて自分の怠惰な気持ちと折り合いをつけていくしかないのである。
朝もダラダラしやすいので、今週は毎日異なるカフェに行き、時間を決めて集中して本を読み、午後からは自宅で本を読んだり、散歩しながらアレクサアプリの読み上げ機能で耳で聞くなどしている。
酷いときにはアレクサの読み上げを聞きながら、テレビを見て、手元では別の本を読んでいるみたいなことをやる。さっぱり内容を理解できない。ムダである。
基本的に本を読むのが得意ではない
自分は国語科の教員の割には、本を読むのは好きな方ではないし、得意でもない。だからまともな読書冊数は割と情けないものがある。
こういう策を弄しなければいけないということが、まさに不得意と興味関心の低さの表れだと思ってもらってよい。
本を読んでなかなか気持ちがワクワクすることもないし、ちゃんと理解できることも少ない。
できるだけ、やる気に頼らないで、機械的な処理が出来るように仕組みを作っているのである。一体、ゴリゴリと本を一日中読んでいられる人はどういう身体の構造になっているんだろう……。