高校入学からの現代文の授業の山場を迎えている訳です。
これまでの潰れまくって回数の少ない授業でも、精選して伝えてきた知識が一気に繋がって伏線が回収されていくとうところを迎えています。
薄く長く…
高校の現代文になると、知っておかないと読めないという類いの話は少なからず出てくる。それは、日常的な感覚では見えないことを、知識や考え方で掘り下げて意識の表面にまで引き上げてくるからだ。知識や考え方の筋道についての理解がなければ、普段の生活の感覚からは理解されがたいことが少なからず出てくる。
評論の定番教材といえば、丸山眞男の「「である」ことと「する」こと」であるけど、これだって平易な言葉で書かれていると思うけど、その問題意識を理解するには「民主主義」などの知識がなけば、やはりかなり難しい。
だからこそ、近年は便利な時代な訳で、評論キーワード集などが参考書として人気なのである。
※Z会のキーワード集は、大人が読んでも、ちょっとした教養にはなるので、読書が苦手な人が一念発起して勉強を始めたいというときには悪くないかも。独学大全に出ていたMD現代文・小論文よりは、挫折は少ない。
もちろん、この手の知識はキーワード集の暗記テストのようなカタチで習得させてあまり意味が無い。教材会社が生き生きと「確認テストを作れるんです!」と単語の意味を選ばせるような確認テストを作れるプログラムをくれるが……あまり意味が無いと思うのである。辞書的な意味が重要なのではなく、その言葉を知っておくことで、自分が相対する資料の見え方がどう変わるかが重要なのである。
短期的な暗記テストで、意味を記号で選べることには全く意味が無い。
しかし、意味を理解して、自分の理解の助けに活用する……となると、そう簡単には理想の状態にはたどり着けない。そもそも、現代社会を基本的に問題視する現代文の評論たちを読むには、自分自身が現代社会に対して何かしらの問題意識がなければ、いくら知識から教え込んでも、資料の読み方も世界の見え方も変化しないのだ。
少しずつ、色々なことを考えてもらいつつ、自分の言葉で表現するというパフォーマンスを経て、自分の思考に問題を見つけるまなざしを持ってもらいたいのである。
自分が比較的、QFTに、質問づくりにこだわるのは、自分でひっかりを持つことが現代文の根幹だと思うからだ。
それが…すぐには身につかないから、いつも我慢比べである。
そして気づけば遠くにいる
二年くらいかけて、やっと現代文の世界観の全体をカバーできるかなぁというところ。そして、全体が見えた瞬間にこれまでやってきたことが一気に、一つの世界観として結びついてくるので、急に難しく感じるのである。逆に言えば、突然、世界が開けたように面白くなってくるところでもある。
この急な飛躍に…どれだけタフについてこられるかが一つのハードルであるし、ちゃんと飛び越えられるように話を組み立てていたのかが、カリキュラムマネジメントの質が、問われてくるところである。
毎回、このタイミングは緊張である。