連休も最終日ですね。
なんだから疲れのダメージが大きくて、ずっとウトウトとしていた気がします。休むのも悪い選択ではなく、睡眠で体が落ち着いてきてくれたおかげで本にだいぶ目が通せるようになってきた。
自分がやらなければいけないこと明日から山ほどあるのだよなぁ……と思っているので、なかなか気持ちは落ち着かない。
こんなに落ち着かいない気持ちでストレスを抱えていると健康診断の数値が怪しいぞ…w
本を読むのは時間がかかる
本を読むときにはそれ以外のことをながら作業はしづらい。せいぜい音楽を流すことぐらいはできるけど、動画を流しているともうあまりよい集中はできない。
本を読むのはながら作業できないという話題は最近読んだ、この本にも出てきている。
時間のかかる作業だからこそ、あまり大外れを引きたくないし、読んだものからなんでもいいのだ良かったと思えることを見つけたいものである。
ただ、そういう下心的な気の持ちようは、そもそも本を手に取らせることを後回しにさせやすい。あれも読みたい、これも読まなければ、そういう精神状況のときに、結局どの本も手に取れなくさせやすいのだ。
無駄な本を読めない症候群
忙しい、忙しいと言っていると自分にすぐに役に立つ見込みのない本や娯楽のための本を読むことが億劫になってくる。
趣味であるはずの読書が教材探しのような狩猟になっていることも多いし、そういう読み方は読んでいて非常につまらない。そして、逆に読んでいる本を教材にしようと思った瞬間に授業のことに引き戻されて、日常の生活に休みが見当たらなくなるのである。
あまり直接役に立たない本を読みたくないというメンタリティが立ち上がってきてしまうと、まず小説だとか韻文だとかが読めなくなる。文芸作品は時間をかけて読むしかなく、専門書や論文のように必要なところだけを読めば良いというものでもない。流し読みができないのだから、時間の浪費度は非常に高いのである。
例えば読書の効能を「読んで得たもの」と「読んだ時間」の割り算で考え始めたら、文芸作品なんて最悪なコスパである。まとめサイトでも読んだほうが合理的である。
実際こういうサービスも流行る訳で。
じっくり読むには世界が忙しすぎるのである。
諦めてぐるぐるとめぐる
本気で色々なものを読んで考えるのであれば、集中できる時間を取るしかない。いわゆるリトリートの時間を取ること、最近の流行り言葉で言うならばインプット奴隷合宿をすることですね。
何かを諦めて、読書に集中するとすれば、それは日常を離れるのが一番なのだろう。