十一月も三週目が終わりを迎えようとしている。いよいよ年末、そして新年。
やがて自分の立場も変わっていくのだろうという予感をせざる得ない時期である。
最適、最短を目指したかったか
進路指導、生徒支援と日々の生活が飛ぶように過ぎていく。やっぱり日暮れが早くなると、一日が上手に使えなくなっているような感覚がある。
生徒にとっては色々なことに追い詰められて、追い込まれている時期であるので、疲れが溜まっている様子も分かるし、その生徒のなんとなくエネルギー不足であることに釣られて自分も疲れているような感じがある。
日々の、生徒との、結論が見当たらないやりとりやコミュニケーションの連続は、何も生み出さないし、何も進めない。そんな感じがするダラダラとした毎日がこのところ続いている。
何をするにも、生徒も自分もエネルギー不足なのだ。
こういうダラダラとした毎日を振り返ると、果たして自分の仕事はこれでよいのだろうかと思うことも少なくない。毎日、同じ所で逡巡しているような感じである。
非生産的なこと、この上ない。
残業が多すぎるということを責め立てられるだけであり、増えるのは書類ばかりである。何も生み出さない。
ただ、こういう非生産的な時間を使っても良いじゃないかと思っている自分がいる。自分の仕事はあっちこっちに顔を出しながら、なんとなく色々なところとつながっておいて、いざという時に、何かをつなげれば良いのではないか、そんなことを思うのである。
まことに遠回りで、面倒なやり方である。
よくよく考えれば、今となってはそういう面倒なことは生成AIが代替してくれるような気もするのだけど。
ただ、そうだとしても、自分の仕事は、なんとなく無駄な時間を生み出すことのような気がしている。
言葉の強さに負けそうになりながら
自分の意見を押し通そうとする言葉の強さに付き合うのに疲れている感じがある。自分と意見が合わないのは仕方ないと飲み込むことはできるとしても、自分の意見を押し通されることには疲弊する。
なんとなく、疲れを蓄積してしまって、付き合いきれないなと思う自分がいる。
授業の中でも何か断言するような表現をすることにはだいぶ疲れてきた。
何かを断言することにはパワーが要るので、そういう言葉を使えるだけのエネルギーがあるのであれば、それはそれでよいことだろう。
ただ、自分にそういう断言をするような言葉遣いに対する魅力が失われているのが、今の状況なのだ。
じっくりと論じるということを考えてみるような、そういう授業で良いのではないかと思うのである。