ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

当たり前だけど、褒められたら嬉しい

Flame

微妙に授業数が余ってしまって、持て余している授業がぼちぼちと。

普段はカリキュラム的にやらないような内容を、少しの遊び心と併せて実施してもいいかなぁと思う時期。

遊び心で実験して、次の単元を考える。そういうちょっとしたアイデアを試してみたいと思う時期である。

そんな訳で授業としては、あまりスマートに行かないことをグダグダとやってみている。

チャレンジしてみるだけでいいから

この時期の授業内容については、生徒にも公言しているけど、授業者としても実験のつもりであるので、授業を受ける方としても実験だと思ってのびのびとチャレンジして欲しいと思っている。

まあ、ちゃんと整理し切れていないことをやってもらう訳なので、チャレンジしてみて失敗したら「ごめんね」と誤って終わりにすれば良いかなあと思っている。

そうやって少しだけ「なんとかしなければならない」という気分を外すだけでも、割とよい感じに生徒が普段の授業よりも面白い表現や自分の使ってみたいツールを使うようになってくれる。

そういう様子を見ていると、授業や単元を作り込みすぎて、失敗できないみたいな雰囲気を自分が出しているかもしれないなぁ…と反省をするところである。

もっと、自由に、緩やかに成長について眺められるようになっても良いのかもしれない。

生成AIは割と当たり前にある

自分の教室は割と当たり前に生徒が生成AIを使っている。個人的な感触だと普段からちょっとしたことに使っていれば使うほど、コピペでそのまま出そうという使い方はしないな、という感じ。

複数の出力を組み合わせて自分で書き直してみたり、情報の適否に疑ってかかってみたり、生成AIに対して過剰な期待や出力を期待しては使わなくなるし、難しいことを考える時に自分の考え方を相談するような使い方にだんだんとなってくるのである。

ただ、注意深く見ていないと、割とスルーしちゃいけないところをスルーしているようなケースもあるので、今はたっぷりと使って、何が出てくるのかを見ている段階である。

何か自分でアイデアが出てないときに「とりあえず、AIに聞いてみるか」というリアクションをするようになっていることを、どのように評価するかは難しい。

ググるという言葉が確立し、分からなければ何でも調べられる時代はもう現実のものとして成立しているけど、それでも意外とちゃんと「ググる」人の方が少ないのも事実である。

もし、検索エンジンのアナロジーで考えるならば、AIでなんでも答えを探せるようになったとしても、そもそも普段からツールとしてAIを使う人が意外と少ない状況になるんじゃないかなぁ…なんて思わないでもない。欲しいものを言語化できるなら、それは相当に優れた言語力なのだ。

AIに褒めてもらう生徒

生徒の様子を見ていると、自分の書いた作品を提出前にAIに評価してもらう使い方をする生徒が数名はいる。

そういう生徒の様子を見ていると、AIの評価が意外とやさしくて、基本的にはべた褒めしてくれるので、それで嬉しくなっている生徒は結構いるような気がする。

とにかく褒めてと言い続ければ、あらゆる角度から徹底的に褒めてくれるのがAIだ。

そういうAIからのフィードバックに対して、生徒たちは「そういう仕組みだから」ということは知っていても、やっぱり褒められる言葉をもらえるととても嬉しい様子なのだ。

特に文芸作品のように評価基準がイマイチパッと分からないものであっても、とにかく明晰な評価基準を次々と作って、ひたすらAIは褒めてくれるだ。

そういう圧倒的な物量のヨイショを聞くとやっぱり嬉しいらしい。

うーん…自分が褒めているものが足りないのだなぁ…と反省するところである。

Copyright © 2023 ならずものになろう All rights reserved.