ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

色々と記事を書かせてみるけれど…

AI artwork

生成AIと書くことの関係について、色々と悩んでいるところである。

例えば、GoogleのAI Studioだとかであれば、かなり細かい調整をすることも可能だし、ChatGPTのカスタムインストラクションなどを用いると、欲しい出力に近いものをシンプルに得ることも出来そうな感じがしている。

ちなみに教育現場でのカスタムインストラクションを活かした活用事例として秀逸なのはこの一冊。

 

 

AIの出力を侮ることはできないのだ。

試しにネット記事を書かせたら…

色々と調整をしながら、こんな記事を書かせてみた。

 

みなさん、こんにちは。今日は、生成AIを使って国語の授業づくりをどう進化させられるか、そして伝統的な「大村はま」の単元学習とどのようにつなげられるかについて、私自身の経験や考えを交えながらお話ししていきます。

■ 生成AIがもたらす国語授業の新たな可能性

生成AIは、文章の自動生成やテキスト解析といった分野ですでに大きな成果を出しており、国語の授業でも新しいアプローチを促進できます。

たとえば、AIが歴史的な文章や現代文、詩の解釈といった複数の視点を提示することで、生徒たちは自分では気付かなかった解釈や表現の可能性に触れることができます。

また、AIが生成する文章を教材として活用し、生徒自身がその内容を分析・批評する活動は、探究心を刺激する良い手段となるでしょう。

■ ヒューマンインザループの考え方の重要性

ただし、ここで注意したいのが「ヒューマンインザループ(Human in the Loop)」の考え方です。

AIはあくまで補助ツールであり、質の高い学習体験を保証するためには教師の判断やサポートが不可欠です。具体的には、AIが提供する解釈や文章をそのまま採用するのではなく、教師が授業前に内容の検証や補足説明を加え、生徒たちと一緒にその意図や背景を深堀りすることが求められます。

これにより、生徒は単に正しい答えを受け取るのではなく、自ら考え、批判的に捉える姿勢を育むことができます。

■ 大村はまの単元学習との接続

さて、伝統的な国語教育のひとつである大村はまの単元学習は、一つのテーマや文学作品に対して多面的に探究し、深い理解を促す教育手法です。この手法と生成AIをうまく連携させるためには、以下の方策が考えられます。

テキストの多角的解釈の提示
生成AIを用いて、同じ文章の異なる解釈や背景情報を複数生成し、生徒たちに提示します。その上で、教師がどの解釈が授業のテーマや文学作品の意図と合致しているのか、または補完的な視点をどう捉えるかをディスカッションする場を設けます。

これにより、大村はまの単元学習で大切な「探究」と「対話」が促進されます。

授業資料としてのAI生成コンテンツ
授業中、例えば一節の文章や詩の生成AIによる要約、解説、あるいは対話形式の解説などを資料として配布し、学生がその内容を分析する活動を取り入れることができます。

教師は、AIの生成内容の正確性や面白さを事前にチェックし、必要な修正や補足情報を加えた上で授業に利用します。これがヒューマンインザループの実践となり、AIと教師の協働が生徒の学びへ直接つながります。

生徒参加型のAI活用プロジェクト
授業の一環として、グループでAIを活用した国語の批評や文章作成のプロジェクトを組むのも良いでしょう。

生徒たちはAIに問いかけを行い、生成された文章に対して自分たちの意見や感想をまとめる作業を通して、情報リテラシーを養います。

教師はそのプロセスをモニタリングし、フィードバックを与えることで、AIがただの道具ではなく、学びのパートナーとなるよう導いていきます。

■ まとめ

私の考えでは、生成AIを取り入れた国語の授業づくりは、教師の厳格なガイドラインとヒューマンインザループの実践により、学習効果を高める大きな可能性を秘めています。

大村はまの単元学習の伝統と融合させることで、ただ文章を読むだけでなく、異なる視点や解釈を対話する豊かな学びの環境が実現できると感じています。これからの国語教育は、AIと人間の共同作業によって、更に深く、広い意味での言葉の世界を探究できる場になると信じています。

ぜひ、皆さんもこの新たな試みにチャレンジしてみてください!

 

キーワードになることは自分が与えているけど、それ以外の情報はAIが集めてきて情報を構成している。

内容としては、ツッコミ出すとキリはないけれど、もう、ただの教員がすぐに思いつくくらいの内容であれば、AIの方が早くて量を出してくれるんだなと感じるところである。

こういう文章が出てきて「ほら、すごいでしょう」というのはあまり面白くない。それはAIの性能の話をしているのではない。おそらく性能的なことを言えば、同じプロンプトでも一年後は、もっと解像度の高い出力するだろうと思う。

根本的に「AIに書かせたら凄いでしょ」と喜んでいても、ちっとも自分の仕事には役に立たないのである。こういう情報やアイデアを得られるのだから、次のステップとして何をやってみたいのだろうと、自分に問いかけてみないといけないと感じている。

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