ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

日本国語教育学会全国大会一日目に行ってきました(速報編)

本日、文京シビックホールまで日本国語教育学会の全国大会へ参加してきました。

本当は明日もあるのですが、仕事から解放されないので参加できないのです…なぜ、月曜日にした、分科会。

まあ、それはともかく本日の内容についての簡単な報告です。詳細な感想は今週中にどこかで書きます。

 基調提案「主体的・協働的な課題追究としての単元学習の開発」

最初に、筑波大学の鳴島甫先生による基調講演です。その要旨は、以下の通りです。

  • 今回の大会主題は「豊かな言語生活を拓く国語教育の創造」である。
  • 「豊かな言語生活を拓く」主体は、他でもない「児童生徒」である。その成長プロセス、学習プロセスを考える必要がある。
  • 現行の学習指導要領の「習得・活用・探求」が「習得→活用→探求」の方向が強調され、「習得」ばかり強調されがちであるのは問題がある。
  • しかし、言語は「獲得される」ものであって「習得される」ものではない。子どもの「言語生活者」としての成長プロセスを忘れてはならない。
  • また、『論点整理』で「アクティブ・ラーニング」が言及されているが、教科書中心の「読むこと」の授業では対応できない。
  • 元来、国語科教育には「子供の学びに向かう力」を重視し、「実の場」を設け、児童生徒主体の学習を展開する単元学習があった。
  • 現在の文脈に照らしても、形式だけで実質のない学習としないように、児童生徒の実態に即した学習と国語単元学習の開発が必要である。

国語科教育が財産として持っている単元学習の蓄積を踏まえて、現代的な文脈に即して新しい授業を開発していくことの必要性が端的に説明されています。

基調提案に基づく実践報告

小中高の各校種からの実践報告です。とりあえず、感想は今度にして、概要を簡単に紹介します。ただ、どうしても授業案丸々書くわけにもいかないので、詳細は、そのうち月刊国語教育研究に載るでしょうからそちらをご参照ください。

三国志で学ぶ小学校古典入門期の単元学習―人物に着目し、多様な資料を関連付ける列伝づくりを通して―

千葉・東習志野小・大類紀章先生による小学校の実践報告です。

小学校の古典入門期の課題として

  1. 音読や暗唱が、作品の世界にふれもせずに意味の理解が不十分なままに自己目的化している部分がある
  2. 解説の活用が教科書だけに留まっており、十分ではない
  3. 物語が多い古典学習は、文学の学習と結び付けることが必要

というような点を挙げ、単元を設定しています。

そのため、「列伝づくり」という目的を子どもに持たせ、「現代語で書かれた児童書を利用して内容を理解したうえで、原典の暗唱をさせる」ことや「いろいろな資料を使って、複数の情報を関連付けさせる」ことなどを活動の中で達成できるように単元を構成している*1

三国志という壮大な古典、しかも漢文を小学生がどう扱うのかと思ったのですが、話を聞く限りでは「非常によい学習をしたんだろうなぁ」と分かるものだった。15時間という壮大な単元の成果だなぁと思いました。

『斧懸の里』―森の詩をつくろう― ~地域の豊かな自然環境を題材とした、市の創作指導の実践~

青森市教育研修センター 渡辺諭先生の中学校の実践報告です。

この単元の背景には、地域の『NPO法人ういむい未来の里CSO』が「森を感じて、言葉にしよう」「森を歩こう、里山を歩こう、詩を描こう」をテーマに掲げて作品を募集していたということがあるそうだ。つまり、地域の中に学習の材料を見つけて、単元を構成したということになるだろう。

また、単元として、身近な自然が文学の題材になること、題材に対する捉え方が一人一人異なること、表現技法を活用することで言葉が輝いてくることなどを生徒に学ばせることができたとしている。

どうしても、最近の傾向として国語科の「書くこと」の指導は論理的な思考力を鍛えるような文章を書くことに偏りがちである。それに対して、詩の理屈によらない言葉の響きやイメージが、直接的に情操面に働きかけてくるという点はおろそかにすることはできないと述べている*2

「書くこと」を中心とした授業のあり方―国語と他教科とのつながりを考える―

東京学芸大附属高校 日渡正行先生による高校の実践報告です。

今回の単元が行われたのが「学校設置科目」の「現代文Ⅰ」という週一単位の「書くこと」と「探究活動」に重点を置いた科目であるという点は留意が必要である。

この実践の背景には、現行の学習指導要領で「言語活動の充実」ということが謳われているが、実際、国語科以外でレポートやプレゼンテーションを行うときに、国語の授業で行ったことが活用されているのかという疑問や、合科目型で授業を行っても、生徒にとって「特別なもの」になってしまうので、日常的な「国語」の力になっていないのではないかという問題意識がある。

今回の単元では、地理の授業の教科行事である地理実習を再検討するような単元が設定されている。課題についてお互いに見せ合い検討することで、表現や内容などをよりよくすることについて考えさせている。実際に、表現の検討などにはルーブリックの作成をさせるなど、自分たちで考えたことをメタ認知させるような工夫がされている。

「実践報告の意義と課題」

学会理事長の桑原隆先生から三つの実践についての総括です。

要点は以下の通り。

  • 現代は、学習材選びの観点として「グローバル・ナショナル・ローカル」という観点はあるのではないか。今回の三実践はこの三つの観点がそれぞれ上手く活かされていた。
  • カリキュラムマネジメントという言葉が最近はよく聞かれるが、生徒の実態に併せた単元構想と年間計画のマネジメントは重要。
  • 教員自身が教材にほれ込む、好きだという意識は子どもを導くエネルギーになる。教師見本の質の高さが生徒を導く。
  • 検討事項として自立した学習者とするために手引きや見本をどう示すべきかという観点がある。
  • また、自立した学習者にするためには、学習の選択権を子どもに渡していくという発想が必要ではないか。教師のお膳立てが必要だとしても、選択権を子どもにゆだねることは、アクティブ・ラーニングの一つの観点になるのではないか。

提案授業 41商会 ないもの、あります

東京学芸大学付属小金井小小学四年生と同小学校福田淳佑先生による提案授業です。

この単元は、子どもたちが「ことわざや慣用句」を基にして「あったらいいなと思う道具を想像する」という学習活動を設定している。そのような「道具の開発」を通して「意味の理解」「それが表す状況の理解」「言葉の理解」と、「道具が使われる状況の想定」「それを欲する人が置かれている状況の想定」ということを重視しているという。

想像した道具をカタログを作成し、実際に本日、参観しているフロアの大人に対して「道具」を紹介して回るというような授業でした。

小学校四年生の活動としてみると非常に高度でしたが…。

研究協議・パネルディスカッション

提案授業を受けてのパネルディスカッションです。コーディネーターは今村久二、パネリストと授業者の福田先生および東京成徳短大の加藤ひとみ先生、日本体育大学の府川源一郎先生、福岡教育大学の山本悦子先生。

詳細な内容は、とても記しきれないので、端的に。

加藤先生

幼児教育の専門家であるため、体験や集団での交流に力点を置いた指摘。発達段階などを幼児と児童を比較して述べられていました。

府川先生

本単元の活動のさせ方について「必然性」についての問題点の指摘と「伝統的言語文化」の扱いとして、本単元の構成でよいのかという指摘。この点については昨今のアクティブ・ラーニングを論じる際にも重要な観点になるので後日感想を書きます。

山本先生

単元学習の専門家という立場から、単元活動を構成する観点を強調。特に、学級に固有の言語文化を育てていく必要性が、単元学習の根本にあることを強調。また、午前の話にもつながるが「選択権を子どもにゆだねる」ことの意味も強調。

 

総括と展望「国語単元学習の創造と課題」

学びての視点からの学びの成立を問題とするということに立ち返ることの重要性を指摘。習得という要素的なものができなければ、活用や探求ができないということのおかしさを指摘。あくまで、豊かな言語生活を拓く主体は子どもであり、子どもの思い、子どもの問いが単元には重要。

個人的な総括

子ども中心ということが「放任」と勘違いされないことが重要。特に最近のアクティブ・ラーニングという文脈では、子どもに丸投げすればいいという勘違いが広まっているというきらいや、丸投げしているアクティブ・ラーニング未満のアクティブ・ラーニングを批判して、現状の教え込みの授業を自己正当化するという混乱が見られる。

どちらも、子どもを言語生活の主体者であるという観点がないように思う。

ただ、個人的にやはり難しいのが「豊かな言語生活の主体者」とはどういうこととなのかを客観的に説明しにくいということだ。概念としては理解できるのだが…。

誰が見てもわかるという説明の仕方の責任は、教員の側にある。

*1:単元を貫く言語活動と言えばわかりやすいだろうか。

*2:個人的には、この点については本当に「詩は情操面だけ?」という疑問はあるけど、それはまた別稿で

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