コロナの感染者の数が落ち着いてきたいこともあって、今度こそ学校再開の目処がつきそうな気配がしてきた。だからこそ、余計にここに来て、色々な不安と懸念が生まれてきている。
あくまで個人的な、自分の身の回りのことではあるのだけど……。
登校できる……のか?
学校が再開するという方向性が見えてきたこともあって、学校内の議論は「どうやって生徒を登校させるか」という話題が増えてきている気配がある。
再開後、どうやって二ヶ月の休校分をフォローするのかということに話題が向いているような気配があるが、そのフォローの仕方が「夏休みなし」「授業数増加」ということしか聞こえてこないのが、まず大きな不安である。
夏休み短縮以外の方法の実施を決定したり、模索したりする自治体も多い。岐阜は学校再開のガイドラインを作成しており、七月から翌年の二月まで月一回、土曜授業を行うのに加え、週一回は一日七時間授業を実施するとしている。広島や沖縄は学校行事の縮小も検討しているとした。
この不安には色々な要素が重なっている。
第一に、「今後、休校はないだろう」という見立てになっていないかということである。「生徒が何をどのように学び、どのよう学力をつけるのか」という観点での議論ではなく、「とりあえず教員が教える授業時間数だけは詰め込んで確保する」という発想だから、「授業数」の確保のためだけに無茶な議論をしていないかと感じてしまうのである。二度目の休校が来たら全てご破算になる計画だけど、そんな脆弱な計画で良いのかね……?
そもそも、緊急事態宣言が解除されようと休校措置が解かれようと、住んでいる地域によっては、登校そのものがリスクになる可能性だって高いのだから、保護者や本人が登校を拒絶する可能性だってある。割合は分からない。しかし、「生徒がちゃんと登校してくる」ということを前提として今後の教育活動の計画を立てるのは、色々な面で見立てが甘いように感じられる。
第二に、「生徒の学力保証」=「授業時間数」だという学校や教員側の思いばかりが強くないかと感じるのである。現状、休業で家に子どもが放置されていることは決して望ましくはないが、6月以降、ろくに休みもなく12月の年末まで生徒を登校させ続けるというのは、肉体的にも精神的にも厳しいのではないかと感じるのである。その上、授業数確保や感染リスクの回避のために、行事までないのだとすれば……。
第三に、「学力保証のために授業数」だというのだが、だとすれば、今、必死にオンラインで子どもたちに伝えようとしていることは何か?ただの実験であって、本当の学力ではない、とでもいうのであろうか。もしくは、オンライン授業では大切なことは教えられないから、教育の本質は対面だとでもいうのだろうか。いずれにせよ、「オンライン授業では学力は保証できない」という暗黙の前提で世の中が動いているのだとすれば、これだけ一生懸命になっているICT活用だって、たちまちに下火になるだろう。事実、「このサービスは休校の時しか使わないんでしょ?」という話が職員室から何度も聞こえてくる。なぜ、準備したICTのインフラをそうやって封印したいのだろうか…。
自分としては、子どもたちの姿が学校に戻ってくることは期待している部分はある。子どもたちの方も、さすがに家にこもりきりになっているので、友達に会うことや学校で色々とやりたいということを期待する声も多くなっている。
とはいえ、今までと同じように簡単にいくと思わないし、いつまで経ってもダラダラと、閑散とした学校が続くのだろうとも感じている。
ケンカを売りたくもないけど
自分自身が教員であり、現場のプレイヤーなのだから、大所高所から石を投げるようなことは言いたくはないのだが……それでも。
この緊急事態に追い込まれて、学校の先生は慣れないICTに果敢に挑戦してよくやっている……とは、思うのだが、裏を返すと「追い込まれるまでやらなかった」訳だし「やれば出来ることを後回しにして来た」とも言えてしまう。既存の学校のフレームでオンラインをやろうというのは同じ失敗の繰り返しとも
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年5月15日
個人差や学校差は非常に大きいので一概にも語ることは出来ないのだけど……自分の見える範囲を見渡すと、「オンラインで出来ること」の範囲をできるだけ小さくして、とりあえず出来たことを自画自賛して、それ以上の戦線の拡大すること、できることを増やすことを先送りしていないか?と感じることが何度かある。
まさに「追い詰められるまでやらない」ということを繰り返しているだけに見えることが多いのである。
もちろん、一概には言えない。積極果敢に挑んでいく人はどこにだって一定数いる。だが、それでも……事態の重さに対して、備え方が緩慢に思えてしまうのである。
たまたま、自分がICTにちょっと首を突っ込んでいるから、いざ使うというと気にストレスがなかったけど、使い方を知らなかった人が新しいことを学ぶにはストレスがかかるから緩慢のように見えても必死なのかもしれない……とは思うが、それでもやっぱり擁護できないなぁという思いがある。
組織の理論などでガチガチになって、行動できない可能性は十分に考えられるけど、個人が自分の中に知識を蓄えるということはできるはずだからね……やれるようになってから考える…でいいのかなと思うのである。
二週間でどうかわるだろうか
この二週間の動向で、また様子も変わってくるのだろう。
学校再開に向けて、オンライン授業も本格化する学校も出てくるだろう。
そうした中で、また何かが変わってくるだろう。
きっと、何かがよい方向に転がってくれるだろう。
あまり楽観はしていない。