ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

サプライズが原動力

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今週も無事週末です。週末に生徒へのフィードバックをまとめてやるぞ…怒濤の1月を乗り越えて溜まったものを返却する。

授業が楽しくなるために

やっと授業に落ち着いて向き合う余裕がある時期がやってきた(あと一週間もすれば期末考査の作成に終われるのだけど…)。

来週は祝日もあるので、気分転換はしやすい時期だけに、ちょっとだけいつもと味付けの違うことをやろうと思っている。どうしても同じメンバーで長く続けていると、カリキュラムをこなすことにマンネリ化しやすい。活動の一つ一つが慣れという手垢のついた状態になって、何がマズいという訳ではないけど「鍛える」と呼ぶにはぬるい状態が出来上がってしまうのである。

一人一人の違いがあるはずなのに、そういうものがなあなあに流れていくという感覚がある。

だからこそ、時々、生徒の意表を突くようなことをやってみたいと思うのだ。

サプライズに動かされる

もちろん、意味の無いサプライズなど暇つぶしに過ぎない。それは授業とは呼ばない。いくらサプライズだからと言って、意味の無いことをやるほど自分は自分の仕事に対して無責任にはなれない。

だから、生徒の意表を突いて驚かせようとするのであれば、国語の学びとして絶対に意味のあることを考えぬいて生徒へ驚きを提示する。

生徒もおもしろいと思ったことや目新しいことには普段以上に食いついて授業に取り組むし、授業をしている方も生徒の驚いた顔を見るのは楽しいのである。やっぱり目先の新奇さだけでなくて本当に刺激された時の表情を見るのは、教員であるので楽しくてたまらなくなる。

授業準備の費用対効果としてはあまりよくはない。あれやこれやと考えたり、必要以上に予算がかかってしまって自腹を切ったりとだいたい色々と赤字である。

でも、サプライズはサプライズに相応しいだけのエネルギーを注ぐのである。気分としてはどんな反応をするかな…といういたずらを仕掛けるようなものである。いたずらをしかけて、狙い道理の反応を相手が見せたら楽しくてたまらない。

それと同じで授業のサプライズだって、生徒が予想外だ!って顔をして、その素材に夢中になったら、授業をやって良かったなと思える瞬間である。

年に何度あるものか

いつもいつでも良いものを用意できるわけではない。

痛恨。

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