こんな記事を見つけました。
小学校一年生の実践だって…!?
使い続けると
小学校一年生は、まだ手書きでひらがなを書くこともおぼつかない子どももいる中で、こうしてゴリゴリとICTが使われるって凄いなと思います。そもそもキーボード入力のハードルがとても高いはずなのに、どうやってそのハードルを越えているんだろう?と思ったらちゃんと秘訣が書いてありました。
○国語授業における3分間タイピングの継続
→国語授業の冒頭3分間を使い、教科書の説明文や物語文をどこまで文字入力できるか競います。
○日記タイピングの継続
手書きの日記を読み返しながらタイピングします。よりよい表現に書き直せるようになります。(2021/02/06 18:40確認)
やっぱり地道な継続が必要なのですね。
上の説明はこれだけしか書いていないですが、何となく同じ国語科の肌感覚で上のような方法を取った理由が察せられます。
時間を区切ってゲーム感覚で競い合いながら練習するという風景がよく分かる。教科書の文章を題材にして競い合うというのも、生徒が文章と向き合うことになるのもよいなぁと思います。きっとあれこれと賑やかに取り組むんだろうなという気がします。
また、日記のタイピングというのもいいなぁと思います。手書きで書いたものだと書き直すという経験はあまり多く取れないでしょうが、こうして清書するというきっかけがあると子ども自身が自分の書いた物を読み直して、書き直していくというのが楽しそうです。きっと、書き直しながら誰かに「これはね、あれはね」とわいわいとやっているんだろうなぁという教室の風景が想像されます。
「2学期後半には、1回の授業(45分)で、原稿用紙1枚(400字)程度の文章を文字入力できる子供が現れます」とさらっと書いていますが、手書きで小学校一年生が一回の授業で文字を書くというイメージがないだけに、恐ろしく扱う情報量が増えていると感じます。いや、小学校でなくても、中高だって一時間で400字以上を書く生徒ってどのくらいいるんだろう?まあ、手書きだとなかなか大変ですよね。
小1から12年間ずーーーーっとこれだけの分量を書き続けたら、どうなるんだろう?
後半で紹介されている小4の新聞も相当なクオリティであることを考えると、本当、これからの子どもたちの考え方や振る舞いが変わってくることにワクワクしますね。
想像力を超えていく
自分は中高の授業を教えることになるのだが、こうして育ってきた子どもたちはやっぱりこれまでとは違う考え方や能力を持っているんだろうなと思う。もしかしたら、手書きの漢字を書く能力などが低くなってしまうのかもしれないけど、一方で向上している能力もあるかもしれない。
そうなると、そうやって育ってきた子どもたちを、どうやって迎えるのがよいのかということを考える。せっかくのびのびと育ってきたのに、結局、出口の受験のことのために手書きを押付けたり、文章を書くことよりも解説を聞かせることを押付けたり、紋切り型の表現や考え方を押付けたりしたら、積み重ねてきたことが台無しである。
今すぐにICTに慣れないで、使いこなせないというのは仕方ないとしても、こうして育ってきた小学生たちが中高に上がる頃には、ガラッと考え方も授業のスタイルも変わるのかな?
相対的に手書きの能力は下がる部分は否定できないだろう。しかし、それだけを取り上げて、学力が下がったように煽動されるのは望ましくない。
どうしたって教える立場にある大人はアラの方に目が行く。でも、出来るようになったこと、自分の想像を超えたものを、ちゃんと評価して、良さとして伸ばす責任も欠点を補うのと同じくらい有るはずなのだ。
次年度はGIGAスクール元年である。少しずつ、変わっていくことを期待したい。
こういう自由にのびのび…という実践がもっと気軽に増えてくれば、風向きも変わるんだろうな。