教員のリフレクションについて某所で話題である。そして、今年から教職に就く教え子ともそんな話をしたところである。
いかんせん、こらえ性のない自分はリフレクションやふり返りを書き続ける気力がないのである。
ブログではふり返りとは言わない。
書いておかないと忘れる
ふり返りを書く必要が何故あるのか。
それはどこかに記録を残しておかないと自分がやらかしたことを忘れるからである。授業の時にどのようなことを思い、どのような振る舞いをすることで、どのような結果を得ることになったのか。そういうことを逐一、記録しておかないと、自分の癖や偏りが治らないのである。
だいたい、毎回、自分が堪え性なくなるタイミングは決まっているし、気持ちが落ちてきて粗雑な授業をするパターンも分かる。
淡々と記録を残しておくことで、よい時のパターンを繰り返そうという、ささやかな抵抗なのである。
誰かに読んでもらうべきか
誰かに読んでもらうべきだろうか。
理想としては自分のことをよく理解してくれる人に読んでもらうのがよいと思う。そして、ちゃんと返信をもらえることが望ましい。それは、岩瀬先生の本を読んでいると強く感じるのである。
これを読むと、どれだけ教員が精緻な眼で子どもたちを見ているかが分かるし、その思いを汲む伴走者の言葉が教育という営みに活力を与えるか…ということが分かる。
でも、やっぱり読んでもらうことが難しいように感じている。
自分のやりたいことを分かってもらえないという思いを強く持っているので、いくら書いても全然違う見方をされてしまうように思っているのである。もちろん、それは自分の杞憂である可能性は高いし、お互いに沈黙して、職員室でお互いに何を考えているか分からない者同士で生活しているというのも不自然なのだけど……なかなか腹を割ってという気持ちになれないのが今の自分である。
何に書くか
最近は何度も書いているけどNotionの使い心地が良い。
色々な人がNotionを使う入門編として日記を勧めている理由がよく分かる。気軽に色々と書けるのに、データとして散逸しないでまとめられるので、情報量が溜まってくるとそれだけで楽しくなるのだ。
Notionも共有機能はあるので、その気になれば誰かと読みあうこともできる。
実は授業で教室で記入するのはNotionを使っているけど、一方で一日のまとめに業務日記を書くのは手書きである。ほぼ日手帳カズンにNotionに書いたことを書き直しているという二度手間をしているのである。
基本的に合理性を最優先したい人間ではあるけど、最後に書き直さないと落ち着かない感じがするのである。
データで書いた方が良い気もするし、実際、一年間使ったほぼ日カズンは積んではあるけど読み返さないことの方が多い。たまに読み返して、毎回、同じ時期にやらかしていると気づくくらいである。
時間をかけて書くことで、自分のペースを落とすという作業が必要なのかもしれない。