生徒の方がICTをよく分かっている…ということを職員室で聞きますが…。
触っていれば何となく使える
ICTのデバイスは、誰でも使えるように工夫されて設計されている。iPhoneの本体には説明書がついていないけど、誰もがそのうちある程度の機能を使いこなせるようになるのは、きっと優れたUIだからなのだろう。詳しくは知りませんが、誰に習うわけでもなく、自分で「嫌にならない程度」の試行錯誤で、出来るようになることが莫大に増えることに面白さがあるのだろう。
このプレゼンテーションで示されるコンセプトは分かりやすい。本当、誰にでも簡単に使えるというシンプルさ…。
子どもにとってみれば、生まれたときからスマホはこの形であるわけであるし、子どもが日常の世界で繋がっているものよりも、圧倒的に面白いものと手軽に繋がれてしまうのだから、試行錯誤をして使えるようになりたいということへの強い動機があるのだろうと思う。
だから、それを外側から眺めている大人からすれば、生徒があっという間に自分よりも早くデバイスを使いこなせるようになっているように見えるのだけど、でも、それは単純にデバイスで試行錯誤している時間が長いだけだろう。
肝心な学びで使えない
だから、生徒があたかもスマホを平気で使っていると思うと思わぬ落とし穴がある。以前にもこんな記事を書いたことがある。
ここでも書いたけど、生徒は自分のやりたいことに対して試行錯誤して使いこなせるようになっているだけであって、学校の授業で要求するような知的生産のためのスマホの使い方にはあまり慣れていない。
例えば、G suiteであれば共有機能が圧倒的に強力だけど、共同編集などが出来るなんて全くイメージを持っていないのである。
それに、クラウドをベースにファイルをやりとりすることになるのが今のICTサービスの基本なのだけど、クラウドという概念を上手く理解できていない。だから、ファイルを共有したり保存したりという概念も理解できないのである(これは、iPhoneのファイル管理が特殊すぎて、ファイルやデータの保存がよく分からないことになっているという原因がありそうだけど…)。
そうなると、例えば「ドキュメントをPDFに変換してメールに添付して提出する」などのような使い方を指示しても、まったく指示が通らないなんてことはまま起こるのである。
教員は教員で学びましょう
以前言ったことの繰り返しになるが、「生徒の方が慣れているから生徒に任せたら良い」という言説は、ちょっと教員側の甘えだろうと思う。
確かに、道具として工夫して使うのは生徒に委ねて工夫してもらえればよい。でも、その手前の段階の基本的な操作や学ぶために必要な方法やシステムの仕組みは教員が授業に入る前に、実際に生徒と使う前に自分で理解しようとする努力は必要だろう。
それほど難しい操作が求められるわけではない。クリックする場所とどこに保存されるかなどを実際に画面を見ながら勉強すれば良いだけだ。
最近は動画でも簡単に勉強できますからね。
やれることをやりましょう。聞ける人に聞きましょう。
いきなり「生徒の方が分かっているから流れで」はやめましょう。
そういうことを思うのです。