ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

当たり前を繰り返す

当たり前のように残業が酷いことに……。毎日帰りがエラいことになる毎年12月。

こういう当たり前を繰り返す…という話ではない。

歳を取るほどに

このブログも8年目がそろそろ見えてくるように、自分自身の年齢もいい加減、若くない。というか、異動があって当たり前に新卒が毎年やってくるような公立であればとっくにいい役職についているような年齢である。

のうのうと平社員をしているのは私学だからであって、そういう環境でいるといつまでも自分が若手だと勘違いしそうである。

生徒といつまでも年齢が近いつもりでいたら、痛々しいことこの上ないのである。

だからこそ、色々な自分の言動を年齢相応にするべきだろうと思う。

その意味で、歳を取るほどに気をつけて起きたい言動がある。それは、生徒への「ありがとう」をさりげなく言えるかである。

感謝を口に出来ない大人たち

当たり前のことのようであるが、なかなか自然にさりげなく「ありがとう」ということは難しい。

どうしても教員が生徒に「ありがとう」というと重々しくなりがちである。もしくはちょっとしたことにイチイチ「ありがとう」と反応しているようだと、わざとらしく響くこともある。

タイミングと言い方が非常に難しい。妙な間やわざとらしさは出来れば回避したいことである。

考えてみれば大人の間でも自然にありがとうというのは稀である。お互いにもう少し愛想が良ければ良いのに、という瞬間は少なからずあるし、逆になんだか取って付けたようにな言い方になって気まずさを感じることもある。

さりげない感謝って伝えるのが難しい。

逆にもっと重々しい立場になれば、丁寧に謝意を伝えることに重さがあるし、伝えられる側にも価値があるような気もするが、こういう中途半端な立ち位置で謝意を伝えるとは難しい…。

普段から口にしていよう

結局、普段から丁寧に言葉を使っていないから、自然な振る舞いで謝意が出てこないのだろうと自己嫌悪している。

考えてみれば、コンビニで買い物したときも「どうも」くらいは伝えるかもしれないけど、「ありがとう」とははっきりと言わない。

こういう雑さがいけないのかもしれない。

日常的に「ありがとう」と発話することを口癖にしてみた方がいいのかもしれない。自然な言葉とは繰り返し使う中で生まれてくるものだもの。

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