今週のお題「変わった」
この数週間で、教育現場におけるChatGPTをめぐる風向きは変わりつつありますね。
対立する意見
この一週間でだいぶネガティブな記事とポジティブな記事が入り交じりましたね。
こういうネガティブな感じの記事が多い印象がある。
こちらはどちらかと言えば推進したい側の意見。
個人的に両論併記で穏当だと思うのがこちら。
今学期の授業では『セールスマンの死』と『嵐が丘』、そしてトニ・モリスンの『ソロモンの歌』が課題図書となっている。ギブソンが自身のTikTok投稿で説明している通り、生徒たちはまず課題図書を読み、自身の主張を自分の言葉を使って教室で書く。続いて各自の主張を基に、ChatGPTに小論文を生成させる(学校ではChatGPTを使用できないので、回避策としてギブソンが自身の端末を使って小論文を用意する)。そして生徒はChatGPTが書いた小論文を分析し、添削する。批評的分析や明確な主題文のつくり方を学び、「いい文章」とは何かを掴んでもらうことを念頭に置いた演習だ。
ギブソンは期待を寄せる一方で、会話型AIは登場して日の浅い技術であり、教育における役割がまだ定まっていないことも認識している。「多くのことがそうですが、これもどうするかは教師の肩にかかっています」と、ギブソンは言う。
(https://wired.jp/article/chatgpt-is-coming-for-classrooms-dont-panic/より。2023/04/14確認)
こういう実践は面白いが、現状では「どこまでがAIを使う」ということで「どこからが剽窃なのか」ということが判断できない。実際、こういう授業は訓練としてそれなりに意義があるとは思うが、果たしてそれを生徒の作品と主張させてよいのかということには迷いがある。あくまで訓練のための訓練の文章として個人的なものとして考えさせるのか、もっと外に堂々と出してよいものだと伝えるのか……そのあたりの判断は今のところ自分にはつかない。
こういう全面的な否定は、まあ、数年後にどうなっているでしょうね。
いずれにしてもどこかで対峙する
おそらく、どれほど学校が嫌がってもどこかでジェネレーティブAIは学校現場に入り込む。Microsoftが本気を出して自社のサービスに組み込もうとしているのだから、影響を受けないわけがないというところ。
そういう時代に対して思うことは、先にツイートしたとおり。
一番よくないのは学校から排除して、生徒が勝手に使うことで妙なチートのためのツールにしてしまうこと。果てしない教員と生徒のいたちごっこの幕開け。取り込んで、変なチートをしなくても済むような課題を考えていきたいところだ。 https://t.co/7JZ9lQdro4
— ロカルノ (@s_locarno) 2023年4月14日
見ない振りはしない。授業で使わない、使うタイミングがないとしても、存在や性質は知っておきたいところですね。知った上であれこれと考えてみる。
そういう時期なのでしょう。
なお、利用規約はよく読んで…。
おそらく、現状は生徒の端末で使うことを教員が推奨するのは厳しい。使ってみせるのが限界か。