ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

「書けない」に寄り添うということ

Writing

先生方にとって、この三連休はどのような時間だったでしょうか。

それぞれの過ごし方があるかと思います。

自分はというと、その多くの時間をPCの前で過ごしていました。学会発表に向けた、予稿集の執筆のためです。

目の前にはPC。画面には真っ白なワードファイルと、点滅を繰り返すカーソル。頭の中には、集めた資料や先行研究、そしてぼんやりとした構成案が浮かんでいます。

しかし、執筆が進まない…。

授業中に書けないで頭を抱えている生徒と同じような姿勢で同じような顔つきをしている気がする。

なぜ、私たちは「書けない」のか

まあ、気が重くて執筆が進まないのはいつものことである。

正直に告白すると、この三連休で、私の執筆はあまり進まなかった。

「書けない」時間は、決して無駄な時間ではないと思いたい。今であればアイデアはAIが簡単に出してくれるし、形にだって仕上げてくれる。

でも、あえてそれをしないでモヤモヤとしていることに、何か意味があるような気がしている。

AIが生成する文章は、確かによどみなく、論理的で、一見すると完璧です。しかし、まあ、自分の仕事としてはなんか使うことでショートカットしたくない時がある。

この「書けない」とモヤモヤしている時間こそ、実は思考が最も深く、活発に動いている証拠なのではないか。そんな風にも言い訳をしたくはなる。

自分の中で感情を整理したいときにAIは早すぎるのだ。

「タイパ」という言葉に象徴されるように、現代の子どもたちは、すぐに答えが手に入らない状況を、以前にも増して嫌う傾向がある。「わからない」と感じると、自分との関係を絶つのだ。

教員自身が、まず「モヤモヤする時間」の価値を信じて投資しなければ、書くことの習慣は変わるまい。

 

 

AI時代になって再読に味わいがある。

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