国語科の「話し合い」は本質的には「よりよく話し合うとはどういうことか」という言語の学習であるべきである。国語科はコンテンツの内容を学ぶことがメインではなく、言語の役割や言語を通したものの見方考え方を身につけることが目指すべきことである。
ただ、言語と形式と内容を切り離せない以上、その内容についても考えていかなければいけないのだろうなと最近は感じるところである。
言語を主体的に使いたいという時には、言語で表現したい内容があるからこそであるし、内容に熱中しているからこそ言葉を選ぶのである。そこに切実さが生まれる。内容が充実せずに言葉が充実することはないだろう。
では、どこで言語に注目して、自分たちの言語の力を振り返ることが出来るのだろうか。いわゆるメタ言語能力的なことはどうしたら気付きとして、習熟につながるのだろうか。
それは授業者がそばにいて問い返すことに他ならないのだろうと思う。





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