昨日の勉強会を終えて、ちょっとまだ気が昂り気味です。
たくさんの方に読んでもらえて嬉しいです。そして、多くの職場で「話すこと」が不足しているんだなぁ……と。
思い込みと偏見の積み重ね
私学は呉越同舟でありながら一蓮托生である。人間関係がこじれると地獄である。異動がない上に人間関係も狭いので、関係がこじれてしまうと修復も難しい。
しかし、大人げないことに割と人間同士の行き違いも起こりやすいのよね……。
その辺りの人間関係がこじれてしまうことや、その解消のための方法論は最近は色々と本になっていますよね、センゲとか。
- 作者: ピーター M センゲ,Peter M. Senge,枝廣淳子,小田理一郎,中小路佳代子
- 出版社/メーカー: 英治出版
- 発売日: 2011/06/22
- メディア: 単行本
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割と色々と先回りして叱られている気がする(笑)。
誰もが自分の見たいものしか見ない・聞きたいものしか聞かない。そんなものである。
だから、長く同じ職場、学年団でずっとやってきているはずなのに、全然考えていることが違ったり、うまくホウレンソウできていなかったり……まあ、日々の小さいことが時々、暴発するのである。
「感情的緊張」と「創造的緊張」
センゲを出したついでにいうのであれば、お互いに考えていることが読めない状況で働くのは非常にやはりストレスである。
そんな状況は「感情的緊張」と呼ばれるもので、ストレスばっかりでクリエイティビティを損なう。お互いにお互いの出方を牽制しあうだけであり、何をするにも苦しくなるものである。
そんな状況をお互いに「わかったつもり」で話し合わないということによって、生み出しているように思う。職員室で気軽にお茶菓子でもつまみながら話をする……なんて様子は見たことない。勝手に自分で自分たちの首を絞めている。
逆に「創造的緊張」と呼ばれるものは、理想と現実の間の緊張感である。理想ばかり見て足元が覚束なくなるのでもなく、現実に引っ張られてしまい理想を目指すことがなくなってしまうのでもない。パフォーマンスを上手く高めてくれるような緊張感である。
この創造的緊張を得るためには、やはりお互いに共有されるようなビジョンが必要なのである。誰かがトップダウンで押し付けるようなビジョンではなく、自分たちが自発的に決めた、そういうビジョンが必要なのである。
だからこそ、対話によって「お互いが何を考えているのか」ということをはっきりさせることがスタートラインとして必要である。
何も話せない、理解もし合えない、そんな状況が健全なわけがない。
素材は何でもいいから
自分のこの勉強会はとにかく話題を投げ続けていくことが大切だと思っている。別に今回はルーブリックだったけど、そのおかげで周りの関心が高くて、人が集まったということもあるけど、でも、大切なのはルーブリックづくりを通して教育観や生徒観を開示しあったということである。お互いが、何を思っているのかということが分かったし、お互いに共有できることもあるとわかったのである。
ルーブリックという型が欲しいのではない。それにまつわる教育観や学校観を共有していくことが大切なのである。
だから、ALPでもいいと思っているし、スタートはALPから始めている。
これだって今年の二月であり、今回まで続けてやっと少し人が増えてきた。人が増えてきても、ちゃんと対立やら意固地になることやらを乗り越えられてきたのである。
一介の教員、下っ端ができることはこの辺りが限界だろう。でも、続けていければ、誰か、力がある人が引き継いでくれることだろう。