ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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学校文法の学び方あれこれ

Greek

久々にまともな国語科の話をしよう。

『教育科学国語教育』2018年12月号では珍しく文法の実践が取り上げられています。

教育科学 国語教育 2018年 12月号

教育科学 国語教育 2018年 12月号

 

以前にもご紹介したことある三國大輔先生の実践です。

www.s-locarno.com

これを題材に少し思うところを書いてみよう。

文法と「学び合い」

今回の『国語教育』の特集が「学び合い」(『』ではなく、グループワークなどの意味での「学び合い」)なので、今回の三國先生のご提案も学校文法の授業について、どのように工夫して「学び合い」で学べるかというものになっています。

読者のことを置いてけぼりにするような飛び道具を持ち出すことなく、丁寧に中学校の授業として求められていることを成し遂げるために、どのような「学び合い」を組織するかということを述べられた報告となっています。

商業誌なのであまり内容を詳しく書いてしまうのは憚られるので、大枠だけ紹介すると、言葉への気づきを促すことを大切にし、例文をグループで検証させたり、言語化させたりすることで、言葉への興味・関心を持たせ、自分たちで言葉について言葉で考えることを促すものになっています。

「文法とは「『言葉の続け方』のきまりや法則」であることに気付くことができるようにするため」(P.85)*1と述べられているように、入門期だからこそ自分たちで「考える」ことを大切にしようという授業者の丁寧な姿勢が感じられます。

(ところで、例文のAとBが図の中のAとBと逆になってしまっているのだけど、これは誤植かな?)

ここから中学2年生から中学3年生にかけて、多くの知識を覚えていく過程や、覚えていったからこそ次のどんな学び方ができるのか、期待させられます。

生徒の活動と学校文法

さて、文法と「学び合い」の関係ですが、三國先生の述べられているように、入門期には有効であると自分も感じます。

どうしても「学校文法」は、「知識」として覚えなければいけない側面があるため、学齢が上がるほどに「知識」を覚えることを求めることになりますし、例外が多く「学校文法」では説明のつかない例外を多く含むものを注意深く避けながら扱っていくことになります。

そもそも批判が多いのだから「学校文法」を覚えなくてもいいのではないか?という声も聞こえて来そうなのですが、「学校文法」が意外と社会の中に根付いているという指摘があるように*2、「知識」としてある程度定着してもらわないと不利益になる面もあるのが事実である。分かりやすいのは「高校入試」であり、「学校文法」を前提とした「文語文法」の学習である。

だから、生徒自身が考えて説明したことと、「学校文法」として覚えるべきことが上手くかみ合わない場合が多い以上、文法の授業として生徒が考えることと「知識」を教えることのかじ取りをどうするかが難しいところです。

個人的に思うのが、国語科の先生でも文法を特に好きで勉強している人というのはあまり多くないということもあり、「生徒に文法を考えてもらう授業」を行うにも、生徒の出してきた考えを評価することも難しく、考えてきたことと覚えるべき「知識」の折り合いの付け方もなかなか見当つかないのではないかと思うのです。

とはいえ、こういうアプローチも提案されており、まだまだ「発掘」の可能性のある単元であるように思います。

ci.nii.ac.jp

自分ならどうやって授業するかな

ちなみに、個人的に文節や文の成分*3などを教える時には「あいまい文」*4を使う授業を考えていたりします。

例えば、

太郎くんが自転車で逃げた泥棒を追いかけています。(大津2009:321)*5

のような例文を用いることで、生徒のメタ言語能力を活用させたい。

ただ、メタ言語能力といっても非常に曖昧に使われるバズワードのようになってしまっている節もあるので、もう少し具体的に考えたいところです。自分としては以下のような「見立て」で生徒の思考を考えています。

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※暫定的な整理であるので、特に根拠らしき根拠はない。強いて言うならば『理解するってどういうこと?: 「わかる」ための方法と「わかる」ことで得られる宝物』のような本で書かれていることを大雑把に授業に使いやすくまとめたものです*6

だから、あいまい文を用いて授業をするのであれば、一番初歩的な「メタ言語能力」としては、二通りに解釈できることに気づくことであろうし、もう少し高度な思考力まで求めるならば、同じようなあいまい文を作ることやあいまいさの説明のために「自転車で」の位置を動かして様々な説明を試みるなどの活動が考えられる。

どのような授業になるかは、生徒の実態と授業の目的を座標軸にしながら、上の表のようにその活動が何をしているのかということを教員が意識しながら行うことで決まってくるのでしょう。

一番やりたいことは…

自分が一番やりたいところは「語用論」周辺です。学校文法としてはほとんど扱われないものの、文法教育としてはかなり意義があるのではないかと思っているわけです。

このアクティブラーニング隆盛期において、簡単にコミュニケーション能力と使われるようになっているけど、けっこう、コミュニケーションについての文法からのアプローチはあるような気がするのですよ。

www.s-locarno.com

上のは冗談ですけど、もう少し真面目に「敬語」などを考えてもらったり実際に使ってみたり……ということを授業で扱う可能性はあると思うのだよなぁ。

目下の問題としては、高校としてどう扱うべきか、まったく自分に検討がついていないことである。他の事項と比較したときにどこまで時間を割けるものなのか、どこまで意義があるのか、見極めていかなければいけないと思う。次期学習指導要領では「国語科の資質・能力」として言語に関するメタ認知に関わるような話は出てくるので、ここがチャンスにも思うのだが……。

まあ、もう少し寝かせておきます。まずは興味を持たれるのだろうかががががが

*1:この文言自体は光村図書の指導書の文言であると注で述べられています。なお、光村図書の現行の文法指導の指導書は森山卓郎先生が書かれているので、このような文言が出てくるのだろうと推察されます。

*2:例えば、森山卓郎; 矢澤真人; 安部朋世(2011)「国語科の学校文法における「品詞」について」のP.92など

*3:ちなみに文法用語はブレがない、自明のものだと思われがちであるが、微妙に教科書によって差異がある。例えば「文の成分」という言葉を用いない教科書があることや「主語/主部」などの定義の仕方などに差がある。また、また、学校文法は橋本文法を下敷きにしているものの、イコールではないので、橋本文法と学校文法で連文節の捉え方などにも違いがあり、その違いは教科書間の説明の仕方の違いにもなっている。

*4:「あいまい文」のネタ本として『誰よりもキミが好き―日本語力を磨く二義文クイズ』はおススメです。

*5:大津由紀雄(2009)「ことばと教育の関連をさぐる」『はじめて学ぶ言語学―ことばの世界をさぐる17章』ミネルヴァ書房

*6:「メタ言語力」というと上の表で下線を引いた「対象について説明する」にばかり偏りがちであるが、もう少し広い範囲として考えられるだろうという考えから整理している。

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