八月が本日で終わります。長い八月だった。
のんびりとやる
長期戦になるのが分かっているので、今は授業ではワザを仕込んでいこうという気持ちでやっている。
まともにQFTを指導しようと思うと、時間がかかる。ただのブレーンストーミングのような指導になったら全く意味が無い。
割とルール自体の指導も面倒だし、ルール説明と同時に、「質問の質」ということを考えさせるワークもする。非常にのんびりとした仕事になるので、普段のカツカツのカリキュラムだとなかなか指導しにくい部分もある。
中間考査までの範囲が膨大になるのが見えているのだから、詰め込むだけが指導ではない。
韻文を読んだり、書き物を書いたり、何が分からないのかということをちゃんと言語化させてみたりというような回りくどいことをやっているのである。
安易に取って付けない
こんなツイートをした。
授業で使える「考えるための技法」の一覧です(分かる人には分かるアレ。ネタバレは後ほど。) pic.twitter.com/agH5kIytFr
— ロカルノ (@s_locarno) 2020年8月30日
思考ツールのような話であるけど、200いいねを超えたようなので、一定数の需要と注目度があるのだなぁと思うのである。
主体的な学びのためには、こういう「手立て」をきちんと持っておかなければいけないと思うものの、こういうことを取って付けたように授業を行っても意味は無い。「じゃあ、今日はこれを意識しましょう!」なんて言って使わせるだけでは意味が無いだろう。
もちろん、この手の方略は、慣れるまでは意識させて使わせることに意味があるが、使わせたいことをそのまま言うばかりでは工夫が足りないだろう。大村はまもそんなことを言っていたなぁ…。
上の思考の分類は学習指導要領の探究の解説編の文言なのだけど、探究は実際に生徒が活動していく過程で、どうしても上のような思考の活動は出てくるので、そういう時に教員がサッと手札として差し出せれば良いのだが、教科の活動となると一つの単元の時間数も多くないし、それぞれの素材で行うべき狙いもあるので、こういう思考活動の指導をどうするかは中々難しいなと思う。
やっぱり「じゃあ、この文章は比較して読もう」みたいなことは出来ないよなぁ。