なかなか雑務に忙しくて授業の準備もおざなりで、実践記録を読んでいる余裕もなし。
そんな状況であるのだが、色々と実践記録について考えることもあり……。
便利な世の中に……
便利な世の中になったもので、実践記録を読むことが最近はずいぶんと簡単になった印象がある。電子化万歳。例えば、お茶の水女子大附属のこのデータベースは恐ろしいほどですよ!
もちろん、お茶の水女子大に限らず、国公立大学のリポジトリで検索すれば、附属の実践論文はかなり手に入るので、非常に実践を学ぼうという人にとっては便利な世の中になったものだ。
大学に限らず、教育センターのサイトや教育委員会のサイトなど、また、教科書会社のサイトなど、かなり色々なところである程度の水準の実践を得れらるのである。
一応、実践の投稿サイトなどもあるのだが……こちらは玉石混交である。どちらかというと追試に必要な情報がなかったりと、やはりちゃんとしたところのデータよりは難しいところがある。
何かをきちんとやろうと思った時には、ある程度の質が担保されているものを使ったほうが無難に思います。
便利な世の中だけど本も捨てがたく
便利な世の中になり、無料で色々な質の高い実践にアクセスできるが、やっぱり本の情報も捨てがたく。
国語科の先生であれば、まあどこかで大村はま国語教室は読まざる得なくなるのだろうと感じる。結局、自分でオリジナルだと思っても、大村はまがだいぶやりつくしてくれているからね……学ぶことは多い。
もう少しお手軽に実践を読むのであれば、明治図書などはたくさん書籍がありますね。
市販されている教育書は「すぐに実践できる」ように配慮されているものも多く、実践しよう、授業を考えようというときには便利な省都カットにはなりやすい。
最近であればこの本も他教科だけど面白い。
実践記録は色々と読むと安心するのです。
何のために読むか
さて、実践報告や実践記録はどのように読むべきなのだろう。以前、授業づくりネットワークがこういう特集をしていたことがある。
まあ……自分にはこの特集号以上のことは書けないので、興味があったら読んでみてね。
個人的に授業記録を読む目的は、「自分の授業をブラッシュアップする」ことや「新しい授業を作る」ことを目的としている場合が多い。あまり、他人の授業記録を読んで「この授業はいい」とか「悪い」とか評論して議論することはない。というか、評論していても意味がないからね……。実践家であるので。
ただ、実際、授業を改善したり創造したりするタイミングでなくても、ダラダラと実践記録には目を通していることは多い。
感覚としてはおやつを食べるような感じである。なんだか常に口に入れていないと落ち着かないというか、ネタ切れを起こして授業に入るのが恐ろしいといいますか……まあ、一度読んでおくと色々なところで知識がつながるよね、と思うのです。
どう読むのが良いのか
さて、実践記録はどう読むのがいいのだろう?
自分は教育研究科の大学院でひたすら実践者と研究者におんぶにだっこで実践を色々と読んで議論して、どういう点がポイントなのかということを教えられてきたという思いがある。それでも、今、学校に就職して一人で自力で実践記録を読むようになっているのだが、大学院の時に先達に教えられて読んでいるときほど、上手く実践記録を読めていない気がしている。
まあ……一つの実践記録を読むために、参考資料を集めたりという労力のかけ方が全然違うので当然といえば当然なのだろうけど。
だから、理想をいうのであれば、実践記録を読むのであれば、やはり海千山千の実践者や研究者にポイントを指導されながら読むのがいいのではないかなぁと思うのである。つまり、そういう環境を求めて、研究会やサークルに顔を出すのが、やっぱりいいんじゃないかなぁと思うのです。
先達はあらまほしきことなり。
とはいえ、なかなかそういう環境や時間がないということも多いので、個人的なポイントを挙げておこう。
- その実践が必要になった実践者の願いを読み取る
- 子どもたちの変化とその要因を読み取る
- 取り上げられている学習材の魅力
少しだけ解説しておくと
- 実践者の願い
これが一番大切な点だと思う。それぞれの教室にはそれぞれの教室の文脈がある。
まったく同じ教室はないので、究極的には同じ授業はできない。そして、同じ効果を得ることは難しい。
ただ、実践者の願いを踏まえて、どんな工夫をしているかということを理解しようとすることはできる。そして、願いを理解しようとするからこそ、その実践の価値が見えてくるのです。
- 子どもたちの変化と要因
授業なので、きちんと子どもたちの変化を保証したい。しかしながら、やはり簡単に変化を論じることは難しい。実践報告に楽天的に「〇〇がよい影響を与えて変化した!」なんて書いてあることは多いが、まあ……楽天的よね。
だから、実践報告を読む側のお作法として、その実践報告に掲載されている子どもの作品やノートの断片から、実際、どのようなところに影響をもたらしているかということを推察することが大切だろう。
或る意味、子どもの言葉や作品は、普段の生徒の様子も見えてくるので、慎重に読み解きたいところだ。
大村はま国語教室などは、生徒作品がこれでもかと掲載されており、生徒の日常まで見えてくる部分がある。
結局、実践を考えていくには、子どもを見るしかないのだろうなと思う。
- 学習材の魅力
これはおまけみたいなものですが、勉強にはなります。
ただ、「これ面白そう」というノリでやると、コケやすいということは注意喚起しておきます。
自分にピンとくる実践と巡り合うこと
実践記録で自分にとってどれほどの意味を持つかは、その時々でも変わってくる。
ピンとくる実践と巡り合うのは宝くじを買うようなものである。ただ、いつかは巡り合える気がする。だからこそ、丁寧に、たくさん実践に触れ続きたいものですね。