昨日、こんなツイートをしたら少し反応が多かった。
デジタル教科書って、外野がガチャガチャいう割には、現場は別に「PDFの紙面データくれれば良いです。変な機能はいらないです」ってノリである。考えてみれば当たり前で、大人の仕事でも書類をICTで使う時に必要なのはGoodnote5のような有能アプリであって、データ自体が余計なことすんなである。
— ロカルノ (@s_locarno) 2021年10月31日
定期的にデジタル教科書のことは巷を賑わせるのだけど、学校にいる感覚からするとICTと言われても「デジタル教科書」にそれほど期待している教員は多くはない気がする(デジタル教科書がなければやらないと、自分がICTを使わない言い訳に使いたがる人はいるけど)。
やたらと過剰にアレルギーを起こす場合も散見されますが…
こんな調子では、あと10年はデジタル教科書やICTは学校に入ってきませんね。ICTから隔離しろとでも言うのでしょうかね?
さて、それはともかくとして、今月の日本国語教育学会の『国語教育研究』No.595では小特集で「デジタル教科書」について、放送大学の中川一史先生が論考を書いています。
デジタル教科書の論点について
デジタル教科書の論点については、今年の出ている以下の文科省の報告が分かりやすいだろう。
これを読むと分かるが、論点はかなり広い。
正式な「教科書」となってしまうと検定の問題や無償配布の問題など、様々な論点が絡んでくるのはかなり話がややこしい。また、健康への影響は当然懸念されることであるので、議論が必要になる理由も分かる。
そして、オンラインが前提になるので著作権の問題も一教員には判断が難しい。
とりあえず、授業に関わることだけに論点を絞って考えてみよう。
学習者が使いやすく…
色々なデジタル教科書の機能が取り沙汰ているように感じるが、外野が注目するのは音声が出たり動画が再生されたり……という割と付随的なことが多い印象はある。
ただ、本来はデジタル教科書のメリットで強調されるべきことは、ユニバーサルデザインの面でのメリットが多い。例えば、フォントの種類や大きさを変更したり、ルビの有無を変更したり、画面をピンチで拡大したり……と様々なに学習者の都合に合わせて変更できる点である。
冒頭のツイートでも書いたけど、基本的には授業を回すだけであれば、シンプルなPDFだけくれれば後の要素は別に要らない。というか、教科書会社ごとにビューアが違ったりデータが重すぎたりして使う度にイライラさせられるならば、余計なことすんな!である。
しかし、学習者の都合に合わせて自由に使いやすく変更できる機能があるとすれば、それは積極的にデジタル教科書を使いたい理由になる。
フォントの字体の違いだけでも生徒の理解度が変わるのだから、色彩や拡大縮小、読み上げの有無などによって、理解度が変わるのであれば、それは積極的に使う理由にはなるだろう。
メモや共有機能は……
デジタル教科書を使うメリットの話で、本文の抜き出しや整理が簡単にできるなどの例が挙げられることは多いのだが、それは本当にメリットだろうか。
メモした紙面を簡単に共有できるということなども、対話的な学びを促進する…などのようなメリットとして説明されるが本当だろうか。
特殊なデジタル教科書のビューアの操作方法を覚えて、授業で使えるようになることよりも、普通の社会の中でも活用しているGoogle WorkspaceやMicrosoft Officeなどに編集して使えるようになる方が重要ではないかと思う。学齢によるのかもしれないが、逆に言えば、現状の小中高の接続の状況を考えると、それぞれの校種で使っているビューアが違う可能性は高いし、断絶している可能性があるからこそ、ある程度汎用的なツールを使える方が、接続もスムーズになるのでは…?などとも思うのである。
まだ先の話か…?
デジタル教科書が学校で機能するのは、色々なしがらみもあるので、もう10年くらいかかるんじゃないかと感じてしまう。
そうなると、おそらく、汎用的なGoogleやMicrosoftが現場に馴染んでしまって、わざわざデジタル教科書なんて、ガラパゴス化したものは使わなくなってしまうんじゃないかな……?