ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

インプットの不足はアウトプットの不足から

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忙しさを理由にして本を読んだり自分から情報を取りに行ったりすることを億劫がっている自分がいることを感じます。

アウトプットがあるからこそ

なぜ、自分がこれほど情報を取りにくことに億劫になっているのかといういことを考えてみると、受験期に入ったということもあって授業がほとんどなくなったということも影響しているように感じる。

授業がないから必要に迫られてインプットをしようという強烈な動機づけがなくなっている気がする。

もちろん授業だって、意識的にインプットしようとしていないと、自分の持っているカードをリサイクルし続けることで簡単に授業を成立させることはできるくらいには教員経験を積んできてしまったので、注意深く授業準備を続けなければいけないと思っている。

授業のためにインプットをしても、そのインプットしたことをそのまま生徒や教室に投げつけるようなことをしても、全く効果はえられない。だからインプットには必ず自分の解釈や意味づけが必要になるし、その意味づけを繰り返すことが強烈なインプットとして自分の血肉になる感じがある。

そういう強烈なアウトプットの場である授業がなくなると、途端にインプットが薄くなってしまうのは、自分のどうしようもない生まれ持った怠惰さである。意識的にインプットとアウトプットをしなければ…と思うのだ。

インプットのためにはアウトプットが大切だという話は、ベストセラーの『アウトプット大全』のなかでしつこく繰り返されていた話ですね。

授業がなくなるとアウトプットが薄くなるので本当に調子が悪いのである。自分の中のリズムがずれていく感じがある。

勉強している人は多い…はず

普段の職員室の様子を見ていると、仕事の忙しさに追われている人が多い。悠長に本を読んでいると遊んでいるように見えかねないので、不健全な感じがある。職員室の机を見ると、授業とは直接関係していないような専門書を置いている先生も少なからずいるので、授業の改善のためにそれぞれの先生が忙しい合間を縫って勉強をしているのだろう。

とはいて、いまいちお互いにどれくらい勉強しているのかということが見えてこないのは、一つはお互いの授業をちゃんと知っていないということが大きい。自分の教科ならともかく他教科となると授業見学にいくのもなんとなく憚られる気分がするし、普段から「今こういうことに興味があるんです」というような話をすることはない(し、そういう時間的な余裕がないのが職員室でして…)。

思うに、もう少しお互いにどういうことを学んでいて、今、どういうことに挑戦したいのかということを発信し続けることが必要なのかもしれないと感じる。お互いに何かを学んでいても、それがアウトプットされてこないと、他の同じような興味を持っている人と繋がることは難しい。せっかく同じ職員室にいるのに情報を共有しあわないで孤立して勉強するのは非常に効率が悪いと感じるのだ。

アウトプットのハードルは高くなりやすいので、それこそ自分の興味関心としてこういうことがあります!と定期的に情報共有してくれる人はありがたく感じます。実際に、職員室に数人は情報を発信してくれる人がいるのでそういう人たちの存在は貴重だと感じるし、そのバイタリティや関心のありかには学ぶことが多いです。

アウトプットのハードルがもっと下がる方法があればいいのになぁと思う。

そういう仕掛けを考えるのはおそらく管理職の仕掛けになってくるのだろう。何か面白い事例があるのであれば探してみたいな。

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