品切れ続出だと話題の一冊をやっと手に取りました。
なかなかニッチな本だと思うのに、これだけヒットするのには意外感。
ニッチな本のニッチな注目
この本は「現代の国語」や「論理国語」の授業アイデアとして使うにもよいなぁと思う。色々と言及したい「情報を得る方法」はあるが、今回はそれらの話は一切触れません(笑)。
パラパラと通読したときに、実は一番心が惹かれたのは実は次の内容。
どれも当たり前のことだが、いちいち書き出して技法に名前をつけた人はどれほどいるだろうか。ネーミング・センスも問われる。(P.174)
要するに、情報検索などの技法についてよい名前をつけましょうという話なのだが、これがやっぱり一番気になる。
ベテラン司書の当たり前を、意識化し言語化するのが本稿の目的であるが、この言語化には、技法の命名術も入れたい。意外かもしれないが名付けはとても重要。(中略)実はレファレンス・チップスも、ファンタジーもののお話での呪文の詠唱に近い。実行すべき一連の動作が、特定のタイトルのもとに思い出されて、なかば自動的に作業できるようになる。というか、呪文から、実際にやることリストが思い出せるように呪文(技法名)を考えなければならないということだろう。(PP.175-176)
この辺りの内容が非常に興味深く、共感的に読めたのである。
その理由は……
この「名前から何をすべきか分かる」という視点は、国語科の授業で「単元名をどうするか」ということによく似ていると思ったからである。
授業の単元はうっかり手抜きをすると教科書のタイトルそのままにしてしまいがちなのだけど、本来「言葉にこだわる」教科なのだから、きちんと単元の名付けにこだわりたいところである。
国語科の授業づくりの入門書などを読んでいると、「単元の名前をどうするか」ということについては、話題になっていることも少なくない(ような気がする)。
この単元の名付けがやっぱりなかなか悩ましい。
『調べる技術』に述べられているように、「詠唱すれば自動的に何をすれば分かる」という観点は重要だろう。単元な名前から何をするかがちゃんと子どもに伝わり、なおかつどのような力がつくのかということが分かることが重要である。そして、思わず活動したくなるようなチャーミングさも欲しい。
高校の授業ばかりやっていると、なんだか眉間にしわが寄るような小難しい単元名しか思いつかなくなりがちである。小学校の先生方の提案する授業の単元名をみると、どうしてここまでセンスの違いが出るか……とがっくりと自分のセンスのなさを恨みたくなる。
本質の理解ということ
技法の命名も単元の命名も、結局、本質を理解しているかということに依るのだろうと感じる。
一体、自分がどのような知的な活動をしているのかということを明確に言語化する、そういう訓練を我慢強く続けることで、少しずつ上達していくことなのだろうと思う。