ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

良いタイトルが見つからず…

単元づくりのゴールは、その単元のタイトルをつけることだと思っている。

しかし、これがなかなか難しい。

どうしても高校ばかり授業をしていると、教科書ありきの言葉や小難しい単語の羅列になりがちなのである。

単元名で単元が分かるといい

単元名にどこまでこだわるべきかという見識は持ち合わせていない。単元名に悩むくらいならもう少し授業そのもののプリントなどを練った方がいいような気もしている。ただ、現実的にはよい単元名がつけられないときには、単元自体が迷走していることの方が多い。

実際、良い単元は単元の名前から降りてくる場合の方が多い気がしている。

つまり、単元名とは「単元の学び方と学ぶ内容が一目瞭然で伝わるもの」が理想なのだと思う。

一番、つまらないのが教科書の素材の名前を書くだけという単元……これが自分が思っているよりも遙かに一般的なのだと思い知ったときは割と本気で違和感がすごかった。

その一事を大げさに取り上げて「コンテンツ重視の教育観だ…!」なんていう気は無いけど、単元名が教科書の目次通りでは、単元……授業のまとまりがどういう理屈や思いや見通しで作られているのかについては、やや疑問が残るのである。

その意味だと小学校の先生のつける単元名はストレートで分かりやすくて好ましい。

発達段階が違うので中高と小学校で同じような言葉の付け方は難しいけど、それでも見通しが立つような、思い入れが分かるような、活動が見えるようなタイトルは必要だろうと思う。

結局は語りたいことがあるかである

よい単元の名前がつくときには、やりたいことがはっきりしているのである。つまり、その単元の学習材に自分自身が思い入れがあり、語りたいことがたくさんあるし、生徒に身につけてほしいこともはっきりとしているのである。

その単元を教室でやる意義は?何がその学習材の魅力なのか?どうして子どもの話を聞きたいのか……そういう見立ての積み重ねである。

よい単元が思いつかないとき、それはやっぱりその単元に対する惚れ込みが自分に足りないのが原因である。

面白くない、やりたくないという気持ちの表れが最終的には、単元名がつけられないということにつながっている……自分の場合は。

 

 

シンプルに力みのない単元ほど、名前が精選されていて分かりやすいものである。

高校の単元名のややこしさを眺めながら思う。

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