ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

プロの仕事

本日は外部と折衝する仕事がやたらと多くあり。

学校で、基本的には子どもたちに教える仕事をしていると、それぞれの仕事の事情などについてはよく分からない。

企業でどのような事務能力が求められて、どのようなスケジュール管理が必要なのかは皆目見当もつかない。学校という融通の利かないところに協力してくれる方がいることは非常にありがたいことである。

誰もがそれぞれプロである

それぞれの持ち場で、それぞれの人に仕事がある。

学校にやってくる一般企業の方は、一般企業の論理で動いているし、そのことから学ぶことも多い。

メールの一つをとっても、返信の速度、内容の過不足のなさなど、普段、学校内部であまり望ましくない例をよく見ることを考えると、必要なトレーニングを相当にされているのだなぁと感じる。

企画や提案書の一枚を見ても、よくよく考えられているし、それによって金銭を生み出している責任を感じるのである。

教員という仕事をしていると、割とレアな仕事に出会うこともある。その時に、色々とお話を聞いてみると、普通は気付かないような着眼や工夫があって面白い。その技術をどのように身につけたかというストーリーも面白さがある。

相手が身につけたスキルを丁寧に用いて、学校に対して付き合ってくれるとき、自分もできるだけのことを返さなければならないと思うのである。学校は油断すると、周りの全員に当たり前のようにフリーライドする傾向がある。

あまり金銭的なアテはないので……誠実に取引するしかないのですが。

教員の仕事も…

教員の仕事は、子どもを相手にするのは簡単だと思われがちである。逆に子どもと関わるプロフェッショナルを名乗るほどの専門教育を受けているかと言われると自分には自信が無いし、教科の専門性があるかと言われてもそれも別に博士号を持っているわけではないので、あまりアテにはならない。

ただ、それほど簡単で楽な仕事をしているわけではないし、方々から飛んでくるトラブルに対して常に平均点くらいは安定して返し続けるスキルは、なかなか特殊なものがあるんじゃないかと思う。

基本的に、教員は周りの広げた風呂敷をたたんで行く仕事である。周りからあれやこれやと期待をかけられて、その期待に外れないように注意深く、どれもこれもやっていく。

突き抜けた能力や瞬発力があれば、時々変態的な成果を上げる人も居るのだけど、基本的には大多数教員たちは、常に平均点を安定して出し続けている。

それは、周りから見ればつまらないと揶揄されることかもしれない。学校が嫌われる原因かもしれない。

でも、そういう安定感があるから、安心して子どもの居る場所としての役割を任せてもらえている面はある。

安定のために生徒を大人の都合に合わせるようになってくると、だんだんと歪んでくる。そういう歪みが自明になって、手抜きになってきてしまうと……。

教員の仕事は小さく、畳み人でいい。

 

 

ただ、時々、自分が小さくなっていくことが、意固地になることではないと振り返ることができるならば。

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