ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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高校教育フォーラム二日目の感想【未整理】

昨日に引き続き、今日の内容について箇条書きのように感想を書いておきます。午後は帰りの新幹線のために途中で帰ったので、午前中の内容までです。

1.パネルディスカッション ~一日目の質問への回答と総括~ 

実はこのフォーラムでは、大学の部でご講演された先生方に対して質問用紙を通じて質問をすることができるのです。 

もちろん、回答を得られるのは質問の一部なのですが、それでも研究者が現場教員の意見に直接コメントをする機会は貴重です。

参加していないとわかりにくいところもあるので、わかりやすいと思われる部分を抜粋で書いておこうと思います。 

なお、ファシリテーターが溝上慎一先生であるので、それぞれの質問について、溝上先生のコメントがあります。 

平野先生「古典のアクティブラーニング」について 

質問:古典の知識の定着をどのようにするか。 

大学の授業なので文法などは基本的にはできているのは前提。 

また、高校の授業については、文法の知識までアクティブラーニングでやると時間がかかるし、何が何でも文法をアクティブラーニングで教えなくてもよいのではないか。 

質問:グループワーク向かない教材はどのようなものか。 

世界観に入り込みにくい教材はやりにくい。そのような教材はアクティブラーニングをしなくてよいのではないか。

繰り返しになるが、何が何でもという訳ではない。

質問:モチベーションの低い生徒に対してどうするか。 

教室の中の空気づくり、最初の授業のルールづくりが重要。

話すレッスンが最初には必要になっているのが現状。 

溝上先生:現場から「うまく行かない」という話は聞くが、ある日突然取り入れても、途中からはなかなか変えられないのではないか。

ちゃんとアクティブラーニングができる関係を作って行くもの。 

質問:古典と現代社会を結びつける必要が大学であるのか。好きな生徒にとってはまどろっこしくないか。 

上位層をどう伸ばすかは確かに難しい。ただ、アクティブラーニングは単純な知識ではなく、コンピテンシーを含んだ様々な面を狙っている。 

質問:古典を知らなくても生きていけるのではないか 

極端な話、他の大学の内容だって知らなくても生きていける。 

なぜ古典が必要なのかといえば、教養として、日本人として古典を知る必要がグローバル化の時代では必要だと思われる。 

森先生「反転授業」に関して 

質問:上位成績者が減っている点をどう思うか。 アクティブラーニングは個別にコンピテンシーを伸ばすことを許容している学習ではないか。 

ただ、上位層にとっては、わかっていることの繰り返しになるため、モチベーションが上がりにくい。

だからこそ、学生に対してなぜ必要かを説明をする必要があるだろう。 

また、今の設計の試験では計り切れていない学びの伸びがあるのではないか。 

溝上先生:上位層が伸びるような課題は設定していないから上位層をのばせない面はある。アクティブラーニングですべてを満足させようとは考えていない。上位層を伸ばすには、それこそきちんと様々な要素を結びつけていく教師の見識や技術などが必要。 

質問:過密な日本のカリキュラムにおいて、生徒がオーバーワークになりがちであることに対してどう思うか。 

生徒の過密なスケジュールなのは分かるが、予習先行型の授業の設計になることが重要なのではないかと思っている。 

反転授業というものは手段であり、最終的にはカリキュラムマネジメントしていくことが必要。

また、一生懸命やっている先生が陥りがちだが、生徒の学習を特定の授業に集中させてはいけない。

大切なのは、生徒にとって使える環境を総動員していくことで、学びのデザインを作っていくこと。 

溝上先生:カリキュラムマネジメントについてどのように高校教員は思っているか。

各教科が好き勝手やってもダメ、全体のデザインが必要。 

また、最終的には出口がきちんとアセスメントできればいいのであり、手段だけの問題ではない。

質問:偏差値の低い学校ではどうすればいいか 

むしろ、底辺校で開発して成功したものであるので、うまく装置として作り上げていくことが重要なのではないか。 

溝上先生:教師の役割について考えていく必要がある。生徒任せになりすぎているような授業はダメ。

生徒が最後、きちんと理解していくためには先生が知識としてつなげていく必要があるのではないか。 

高橋先生

質問:入試のためにパターンを暗記させるのがよいと思っている教員はどうすればいいのか。 

結局、入試の対策が重視されているのが問題。

実生活に結びつけていくことが重要であって、数学のための数学では困る。

数学者として生きていく人間のほうが少ないことを考えれば、生活と繋がらないといけない。 

教員養成の問題もある。理学部出身の数学の教員養成は問題がある。 

質問:文系の教員の数学の学習はどうすればいいか 数Ⅰレベルでも十分に必要性はわかるはず。

問題は、文系の生徒がはじめから数学を理解することや使うことを放棄してしまうようなことが問題。 

溝上先生「エビデンスベースにもとづく学習と成長」 

質問:十年後がわからないような時代において、高校2年生に将来を持たせる意味はあるのか。 

意味がある。その時点その時点で将来の見通しをもてることが重要であって、そういう作業をしてこなかった生徒が、情報のあふれる大学で自分を再構成していくことはできない。 

質問:対人関係の弱い生徒の指導は非常に困難がある。 

確かに高校2年の段階にもなると、様子はそうそうは変わらないが、決して遅くはない。 

できないのであれば、下の段階にそのことを伝えていくことも必要であるし、引き受けた人間を育てないことが必要。 

ホームルームなどを活用していくことが大切。 

質問:高校の段階の意識がその後に大きな影響を及ぼすことを生徒にどう伝えるか 

将来について見通しのある生徒はがんばろうとなるが、現在の生活ができていないような生徒はかなりしんどい状況になる。 

短期目標を持たせて、どうやって生きていくかを考えさせる。日常の生活習慣を向上させていくことが必要。 

 

以上が、二日目の最初のプログラムの内容です。 

しかし、かなり走り書きで作ったので、発言された先生方の意図とは異なる解釈で書いてしまっている可能性があることをお断りしておきます。

あくまで、この内容の責任は筆者にあります。 

 

2.各高校からの実践発表 

特筆するべきことは、神奈川県の田奈高校の話だと思われます。

語弊があるとかなり問題があるため、興味がある方は直接田奈高校のことをお調べすることをお勧めします。 

午後のプログラム 

特筆事項なし。 

 

自分のスタンスが極端だと言うことをお察しください。

レイアウトも携帯からなのでお察しください。

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