文学軽視が叫ばれる昨今ですが、議論が錯綜としていて積極的に絡みたくないので、自分の授業で楽しくやりたいなぁと思う今日この頃です。
正直、自分は学生時代に文学はまともに勉強していない。ぶっちゃけ理系の学問と同じくらい知らない。新書レベルと止まっているといって過言ではない。そして、そのことに危機感を覚えて、自分で再び大学に行こうと思わないような人間である。……国語科でいいのか?と思うものの、自分の中の優先度は上がらない。
これを文学軽視と言われると辛いのだが、自分の興味関心が向かないことと生徒にどのように文学と出会ってもらい、授業で文学を扱っていくかという話は別である。できるだけ文学のことを理解して学問としても同一にならないとしても、大きく外れないようなことをしつつも、一方で学問そのものではないので、教室で何を行うべきかということを慎重に考えて授業したいと思っている。
ただ、本質的には「楽しければいい」という人です。ただ、その楽しさが「他者と共有できる」ということ、つまり、独りよがりではなくて、分かち合う言葉があることが大切だと思っているのです。
自分の授業づくり…
そんなわけで文学にはあまり詳しくないので、手に入る書籍は使えるだけ使うのである。もちろん、スタートは国語の授業づくりの関連書籍から。
結局、背景にあること、下敷きにあることは文学の理論なので、そこから逃げられないよなぁ…と思いつつも、便利な書籍には逃げがちである。
「新しい作品論」へ、「新しい教材論」へ―文学研究と国語教育研究の交差〈1〉
- 作者: 田中実,須貝千里
- 出版社/メーカー: 右文書院
- 発売日: 1999/03
- メディア: 単行本
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このシリーズももう20年も昔なので、さすがにちょっと古い感じは否定できないのだけど、何も分かりませんというところからすれば、とても参考になる。
近年は、だいぶ文学理論の入門に優しい本も増えてきた。
批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書)
- 作者: 廣野由美子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2005/03/01
- メディア: 新書
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自分は大学時代にこの本にだいぶお世話になった。廣野先生の本は他の本も楽しく読むことができ、だいぶ自分を助けてくれた。
一人称小説とは何か−異界の「私」の物語 (MINERVA 歴史・文化ライブラリー)
- 作者: 廣野由美子
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2011/08/10
- メディア: 単行本
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視線は人を殺すか―小説論11講 (MINERVA歴史・文化ライブラリー)
- 作者: 廣野由美子
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2008/01/01
- メディア: 単行本
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惜しむらくは英米文学中心なので、自分が普段扱っている話とは少し距離があって、なかなかイメージが持てなかったのですよね……。そして、そこから日本文学のものを探すという自分の勤勉さもなかった。
どちらかというとやはり授業や国語の実践の方に興味があるので、
の渡邉先生の『こころ』の実践のように、自分たちで小説を読み進めるためにはどうしたらいいかということを考えて授業していることが多かったし、そのための手立てに終始していることが多かった。
結果的に、だからリテラチャーサークルをやったりすることに。
- 作者: ジェニ・ポラックデイ,ジャネットマクレラン,ヴァレリー・B.ブラウン,ディキシー・リーシュピーゲル,Jeni Pollack Day,Valerie B. Brown,Janet McLellan,Dixie Lee Spiegel,山元隆春
- 出版社/メーカー: 溪水社
- 発売日: 2013/11
- メディア: 単行本
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語り合うことで力はつくか?……これにはYesと答えよう。中には誤読も起こりえるが、語り合う時間が重なっていくにつれてきちんと修正されていくし、妥当な読みができるようになっていく。誤読を恐れなければいけないのは、時間と話し合う時間が十分に取れない場合である。
最近になって、やっと自分のような横着な人間に向いた本が手に入りやすくなった。
これはおそらく学部1年生向けの本である。トレーニングを意図して作られているので、それぞれの章での課題や解説が演習の授業のようである。そして、難しい理論をそのまま解説するのではなく、具体例を挙げて示してくれているので分かりやすい。
本格的な道筋を示しながらも、内容自体に難解な言葉は出て来ない。
「テクスト」を読むとはどういうことかのポイントを一冊を通じて、だいたい十数個に簡潔にまとめているのもポイントが高い。
ガイドが充実しているだけあって、授業づくりにも参考になるだろう。生徒にもポイントとしておそらく示しやすいし、それを示すことが文学の真似事にならないようにするためのお手本にもなっている気がする。
正直、文学の人たちのジャーゴン(のようみ見えるもの)は、苦手です。
文学軽視なのか…?
新しい学習指導要領が文学軽視という批判は最近はやたらと目にするが、本当に文学軽視なのかは自分には判断しかねる。文学そのものにそもそも詳しくない。
高校の国語科の「文学」という言葉と大学の研究の「文学」では差があるのは当然であるし、高校の「文学」は決して親学問の真似事ではいけない。おそらく高校の授業で責任を負わなければいけないのは、学習指導要領にあるように、社会生活に必要な国語の知識技能を伸ばすことや他者との関わりの中での読むことや読書との関連であろうと思う。もう少しかみ砕いでいうならば、「困った時に文学を読むという選択肢を持っている」ことが出来れば十分なんじゃないかと思うのである。学習指導要領の文言は普通科の高校の目標としては、過不足なく書いてあると思うんだがなぁ……無味乾燥な文言という批判も目にしますけど、学習指導要領の変遷を見てくると少しずつ変わってきており、その時々の様子はよく考えているなぁと思います。
文学軽視という批判の根幹にあるのは、「論理国語」と「文学国語」の選択問題にあるわけですが……
「文学国語」を選択できない現場の苦しさはあるが、それは入試科目という難題もありまして……大学側も文学の出題は増やす予定は……?
割と文学国語の文言や言語活動例は面白いことが多いし、これまで以上に充実しているという印象がある。単位数の問題と入試科目の問題がなければ、積極的に選んでもよいくらいなのですが……。
「言語文化」の単位数だと授業はかなり厳しい。「文学国語」までやりたいが……。
そんなジレンマで、さて来年度からのカリキュラムをどうするのかが悩ましい時期です。
ただ、現状、新学習指導要領の批判の話を見ていると、論点が散らかり過ぎだろうなという印象を持っている。そして、自分のような文学の門外漢にはだんだん何をいっているかよく分からなくなっている。「あーそこにこだわるのが大切なのね、わからんでもないけど、高校の授業ってそこまで悠長には無理だから……」とか「それは高校の授業じゃないよ…」とか思うのである。まあ、端的にいえば、興ざめである。反対は回らないけど与しない。
しかし、国語科の教員でこう感じるのだから、もっと他所の分野からはどう思われているのでしょうかね。それとも、自分が国語科の教員として、どうしようもないのでしょうか。