もう何年も苦情を言われ続けていたのに全く改善の気配のなかった教員免許更新がやっと中止の兆し。
教員免許更新の目的を知っている?
教員免許更新の廃止に対して「不適格な教員を排除できなくなるだろ」とか「更新制度にしないならダメ教員をリスト化しろ」とか、結構、恐ろしいコメントを目にしている。
教員免許更新の目的については、文科省のサイトには以下のように記述されている。
目的
教員免許更新制は、その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に最新の知識技能を身に付けることで、教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指すものです。
※ 不適格教員の排除を目的としたものではありません。(教員免許更新制:文部科学省より。2021/07/11 19:00確認 下線強調は引用者)
下線強調しておいたけど、教員免許更新は「排除」のための仕組みではない。まあ…講習の内容的にも排除する仕組みにもなっていないし、そんなたいそうな役割を大学などの機関に押付けられても困ってしまうだろう。
「教員が自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ることを目指す」というたいそうな目的が述べられているけど、「自分が日々勉強していることや授業実践していることは社会に信頼されないのだな」と自分などの性根の悪い人間は思うのです。
普段から日々変化する状況に対応しながら実践を続けている現場からすれば、上から「お前はちゃんとしているのか?」ご下問をいただいて講習させていただかないと教員ができないというのは、あまり面白い気分のものではないのです。
学ばなくて良いということではない
教員免許更新がないからといって学ばなくて良いということではない。学ぶことは教員をする上での義務でもある。教育基本法9条である。
第九条 法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。
2 前項の教員については、その使命と職責の重要性にかんがみ、その身分は尊重され、待遇の適正が期せられるとともに、養成と研修の充実が図られなければならない。
2項はおいておくとしても*1、「絶えず研究と修養に励み」という点がやはり大切なのである。だからこそ、公立であれば悉皆研修がしつこいくらいに準備されている。私立…?私立は……頑張っているんじゃないでしょうか、普通は。
真面目に教員をやろうとして、授業と向き合っているとどうしたって勉強せざるえない。一度、根詰めて作った単元であっても、生徒が変われば次の機会にそのまま使い回すことはできないものだし、常によりよい方法を模索したくなるものである。
教員免許更新は、自己負担だし、時間的な負荷が大きいし、内容としてもニーズに合ったものを選ぶのは難しいし…受ける方もやる方も大損する欠陥制度であったけど、学ぶこと自体が「教員にとって負担」なのではないということは強調しておきたいし、むしろ多少の負担があっても学ばなければいけない時もあるのだという気持ちが自分にはある。
前にも言及しているけど、近年、憎まれがちな研究授業であっても、「普段の授業に役に立たないからやらない」と教員免許更新と同じ論法で無くしてしまってよいとは思わない。
負荷の多い現場だからこそ、どこにエネルギーをかけるのかは考えなければいけないし、そもそも業務量を減らすことを助けて欲しいと思いますね。
油断ならないことも…
よくよく注意しておきたいけど、「講習の内容が悪くて役に立たないかれ止める」ということにされると「更新制度は必要だから工夫してやれ」と復活しかねないので、ちゃんと「負担感が多くて教員の数を減らして現場を崩壊させるからやめる」としておかないといけない。 https://t.co/ijPXnncb71
— ロカルノ (@s_locarno) 2021年7月10日
この記事だってよくよく読むと最後の方にとんでもないこと書いているからな。資質向上はいいですけど、死にかけるほど忙しい現場にこれ以上頻繁に強制研修を拡充されたら死に絶えるしかないわ。勉強するのは教員の仕事だけど、勉強させたいなら勉強させるための時間捻出を先にしておくれ。 https://t.co/n5SbTDcfw8
— ロカルノ (@s_locarno) 2021年7月10日
今回の記事が観測気球である気もするのですよね。
だから、教員以外からの世論が「教員にラクをさせるな」のような声が大きくなれば、形を変えてもっと悪辣な形で勉強「させられる」ことになりかねない。
まだまだどうなるか分からない。
*1:「その身分は尊重され、待遇の適正が期せられる」という点で、本当、教員免許更新は「尊重されていないな」と思わされるのである。