ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

やる気が出ないときでもブログを書く

今週のお題「やる気が出ないときの◯◯」

毎日、仕事に追われていて基本的に自宅ではやる気が出ないでグダグダしているやる気の無い男がこちらです。

お題で「やる気がでないときの」と来ていますが、基本的に毎日やる気は出てこないものです。

それでもこうして2300日くらいずっと毎日ブログを書いています。

やる気が無くても継続することは出来るのです。

自分に対する期待値を下げる

やる気が出てこない一番の原因は自分に対する期待値が高すぎるということがある。「きっと自分はすごいことができる」という思いを持っていると、何をするにも手を動かすことが億劫となる。

実際はいきなり傑作なんて出てこないので、地道に試行錯誤して磨き上げていくことでやっとちょっと人並みのものが出せるようになるのだけど、それに気づけない。

自分が出来るはずだという気持ちが、手を動かすことを極端に遅らせる。

ブログの記事を一つ書くとしても「きっとバズるような記事が書けるはずだ」なんて思ってしまったら、いつまで経っても記事を書き始められないし、書いた記事を公開することをいつまでもためらう。その上、自分の期待したような結果を得られないと、あっという間に自分の気持ちを折ることになる。

そうして自分の結果が得られないことにやる気を失っていくのである。

自分に対する期待値なんて上げても良いことは何もないのである。

さっさと成果物を作って公開してフィードバックを得て、自分に対する適切なフィードバックを自覚できるようになることが大切である。

座ってキーボードを打ち始める

2300日、ずっとブログを書いてきているけど、やる気がわかない日はいつでもやってくる。

基本的にもう7年も書いていると書きたいことだって一巡してしまって、毎日ネタ切れだし、自分の仕事だって以前よりも忙しくなってしまって時間だって物理的に取ることが億劫になってきている。

毎日、本を読んでいるけど書評を読むほどの体力も残っていない。

それでも、ただ毎日、惰性のようにブログを書き続けている。ただ、ひたすら書くことで日々の自分の思いつきを記録として残し続けることが出来るのである。

文章にすること、まずは行動してみること、そういう習慣が自然に身についている。やる気に左右されず、もはや身体を勝手に動かしているようなものである。

歯を磨くのに何か疑問を抱くか、顔を洗うのに何か疑問を抱くか、そういうもはややる気を超えている何かである。

「それだから、走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス。」

(太宰治「走れメロス」)

こんな心境である。

やっていればできるようになる

自分に対する期待値を下げて、我慢強く続けていると、そこそこそれっぽいコトが続けられるようになる。

そして、続けているとそれだけでも価値が出てくる。

とりあえず、やる気が出なくても、やってみればいいのだ。

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