ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

ならずものになろう

共有するために

自分だけの授業ではない授業を準備する役割を持つことも増えました。

自分の個性と誰にでも出来る再現性と

コロナ禍の影響を受けて、オンライン授業を経験してきた教育現場にいるからこそ、教室の授業というのは、その時その時の一回性に支えられた貴重なものでなければならないと感じている。

だからこそ、授業者が授業をするということは、その授業者と生徒との関係性の中で生まれてくる独自のものであってよいと思っている。

もちろん、授業のカリキュラムとしては学年で足並みを揃えなければならないし、クラスによって授業のバランスが異なってしまうと問題になる可能性があるので、「授業の結果」としては公平にならなければならないと思う。

ただそれでも授業は本質的には授業は一回きりでなければ、オンラインのオンデマンドの授業でよくなってしまう。何のために授業をするのかという問いはポストコロナの時代にはずっとつきまとう問題だろう。

 

 

そういう問題とは別に、授業を足並み揃えて授業を進めていくためには、再現性のある授業のアイデアを作ることやアイデアを実現するためのノウハウを共有していくことが重要である。

そのためには、丁寧な指導案を準備する必要があるし、それは周りに対する思いやりでもあるし、一人では生徒達を育てられないという諦めとチームワークがあるからこそ学校で出来ることが多いのだという希望である。

誰でも出来る授業を考える

授業案を共有して、色々な人と授業を進めていくためには、誰にでも再現できる授業を考えなければいけない。

とはいえ、企業が販売しているようなふわっとしたマニュアルでは全く意味が無い。

日々、生徒と対面している教員だからこそ、出来る授業とは何かを考えなければいけないと考えている。

生徒の実態と先生達の興味関心と困りごととをよくよく思い出しながら、こういうことを挑戦すればきっとよい達成感が持てるだろうなあ…なんてことを考えながら授業案を考える。

よくよく考えると、これって普段の単元づくりと何も変わらないですね。変数に教員が入ってくるだけで、色々なことを願いながら授業を創るんだから、それは本質的には楽しいのです。

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