ならずものになろう

少しは教育について話してみたくなりました。書き続けて考え続けてみたい。

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未来のマナビフェス まとめと感想

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一週間かかってレポートを書いてきましたが、昨日で一段落です。

最後に記事リンクのまとめと自分の感想を少しだけ書いておこうと思います。

記事リンク

www.s-locarno.com

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www.s-locarno.comこれで全部ではないのはご了承ください。同じ時間帯に複数のセッションが行われているため、自分一人だけでは大会の全体をカバーすることが出来ていません。

それぞれのセッションの資料は手に入れて入るのですが、その資料だけ読んで何かをコメントするのもあまりよいことではないかと思うため書きません。気になる場合は、ぜひ来年も開催されるそうなので、積極的にご参加ください(笑)。

内容が気になる方は、以下のサイトをご覧いただくとよいかと思います。

溝上慎一の教育論

manabilab.jp

もうすぐ、河合塾が新しいサービスをオープンするみたいですが…それはまたいずれご紹介します。

参考資料

今回の未来のマナビフェスについての理解を深めるために役に立つ資料を紹介します。 

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

アクティブラーニングと教授学習パラダイムの転換

 

今回の大会の一番のキーワードが「トランジション」です。この言葉の定義に基づいて、学力観の転換の背景や必要性について説明しているのがこの本です。

非常に個人的なことを言えば、2018年の現状においては「アクティブラーニング」という言葉が人口に膾炙し、授業の中でそれなりに取り組まれるようになってきたことで、溝上先生のアクティブラーニングの定義が引かれるようになったと思うものの、この「トランジション」についてと併せて説明していない場合が多いように思う。そのため、ただ「外化」させる、つまり発表なり表現なりさせておけばいいというような誤解に繋がっているように思うのである。

また、「トランジション」の問題についての理解不足が、教授パラダイムから学習と成長のパラダイムへの転換であるという一番、根本的な問題意識にも繋がらなくなってしまうという問題もあるように感じる。

専門からすれば当たり前ですが、ここでの「アクティブラーニング」についての議論は一回の授業をどうするかというレベルの話ではない。授業をどうするか考えるのは現場側の仕事である。しかし、一回の授業なのかもっと大きな枠組みなのかという視点を混同して議論してしまう場合が多く、色々と混乱しているように見える。

高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題 (どんな高校生が大学、社会で成長するのか2)

高大接続の本質―「学校と社会をつなぐ調査」から見えてきた課題 (どんな高校生が大学、社会で成長するのか2)

  • 作者: 溝上慎一,京都大学高等教育研究開発推進センター,河合塾
  • 出版社/メーカー: 学事出版
  • 発売日: 2018/02/21
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
 
大学生白書2018 ーいまの大学教育では学生を変えられないー

大学生白書2018 ーいまの大学教育では学生を変えられないー

 

「社会が変わった」という理解だけでは不十分な理由が見えてくる調査結果である。「社会が変わった」から教育が変わらなければならないという理解は一面で正しいが、一面で不十分である。これらの調査から見えてくることは、「トランジション」課題に対しては出口の部分だけで解決できることではなく、早い段階で教育に関わる人々がそれぞれの段階で必要なことを果たし、リレーしていくことが重要であるということである。例えば、大学四年間の成績が高校二年生のときの「キャリア意識」によってかなり大きな影響を受けるというようなデータは、高大接続の必要性や高校で「キャリア意識」の形成に関わる指導の必要性が示唆されるのである。

雑多な感想

個人的には、「トランジション」課題についての調査が示唆することは、国語教育で「言語生活」が重視され、その意義が説かれてきたことを裏付けてくれるようなものになりうるのではないかと思っている。まあ、簡単な話ではないので、与太話ですが。ただ、大村はまが「単元学習」について

一つ一つの国語学習をほんとうに子ども一人一人を伸ばし、一人一人の言語生活をゆたかに高めよう――端的に単純な言い方をすれば、ほんものの国語の力をつけよう

『大村はま国語教室1 国語単元の生成と深化』(P.7)

と述べているが、「ほんものの国語の力」と「言語生活をゆたかに高め」ることとの繋がりを意識していることに、溝上先生のアクティブラーニング論、学習と成長のパラダイムをみることができるように思うのである。大村はまは別に社会が変化しているから、AIが出てきているから、少子高齢社会だから「一人一人を伸ば」そうとしたのではない。

授業についての議論と、学校教育全般、もしくはひとりひとりのキャリアというレベルでの議論が錯綜とすることで、方法なのか理念なのかということが混乱しがち、もしくは意図的に混同しているのかはわからないが、二項対立の極論に陥りやすい。

少なくとも、一回の授業の巧拙や受験レベルだけで(必要ないとは言っていない、重心、ベクトルの問題である)考えるのは不十分であり、ことあるごとに大局的に見ることも必要になるのだろう。つまり、それがカリキュラムマネジメントとして結実していくことになるのでしょうが……まあ、普通に考えて、今のあっぷあっぷな現場にとっては過大な負荷である。厳しい。きちんと支援がされるのはもちろんですが、きついからこそ、学校が外からの協力を迎えるための工夫や努力も求められていくことになるのでしょうか。そうなると、そもそも学校の仕事の質も変わってきますし……まあ、二年後に間に合うかは非常に怪しい。

少なくとも、今、色々な先生が問題意識をもって、日々の仕事をよりベターにしようとして努力している。しかし、それがラップアップセッションで中原先生が述べたように「個」の先生の努力であって、組織として機能している訳ではない。

なかなか学校全体が組織を挙げて……となるには難しい条件が多い*1ため、なかなか変われないで、個人が疲弊していく可能性は高い。

問題意識もあって、勉強もしている先生が疲弊してしまい、そもそも教育に対する活力が失われてしまうことの損失は大きい。

だからこそ、このようなイベントで興味関心と熱意のある先生方が、もっとつながりが作られ、個の力を超えていければ良いと感じるのである。

*1:公立の場合は異動もあれば縛りも多い。本来、私立はトップダウンで動く可能性は大妻嵐山の例を見るとありえるのだが……まあ、教員って不思議な人種ですよね。

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